92話B面『驚きのお言葉』

みなさまGW、そして け~りんダービーはいかがでしたか?
あらあら!
それはザンネンでしたね…
気をとりなおしてがんばっていきましょ~!!!

今現在、GWのはるか前の段階だっていうのに よくそんなセリフ吐けるね(笑)

あっはっはっ
だって、GWやダービーで い~ことあった人が5月10日にこんなブログをウジウジながめてるとは思えないでしょ?

なるほど、たしかに!(笑)

はい!
というわけで、みなさま同様のGWとなっている可能性の高いオレの無駄話をウジウジ開始ね(笑)

久々に飲み会

え~と、ちょい前の話なんだけど、相当久しぶりに我が家で飲み会やったのよ。
もちろん、飲み会ったってコロナ前みたいな規模ではないけどさ。

メンバーは競走帰りの現役選手2人と、日大三高理事で同校野球部の元会長•定蛇(じょうじゃ)さん、そしてオレ。

メンバーの1人、定蛇さんに関しては以前このブログでオレとの関わりとか一度話したことがあるんで(※番外編7)今日は簡単な紹介ね。

もう17年前か…
高校野球風(あくまでも「風」)のマンガを描くことになった時 知人の紹介で知り合って、それからずっとお世話になっている方。
これも、その時話してるけど、野球部入部時

「てめえの名字の読み方がわからねえ!」

という理由で先輩から真っ先に殴られたっていうお方ね。
今の三高野球部からは想像もつかない時代のお方。

過日、三高野球部監督を退任された小倉全由さんは、この方の二つ下。
若かりし頃は、この小倉さんと一緒に三高のコーチをやっていたこともあるそう。

余計なことあまりしゃべるわけにはいかないんだけど、小倉さんの監督就任前、就任後もずっと陰で支え現在の三高野球部を共に作ってきた方ってところなのかな。
差し障りのないレベルの紹介だと。

ちなみに、オレはこの人のおかげで野球界が大嫌いになってかなりの期間 中継すら見なくなったなんてこともあったんだけどね(笑)
オレ、ロマンチストなもんで(笑)

それは長い道のりだった

さて、今回の集まりって実は変わった切っ掛けからやる事が決まったんだ。
1年半から2年前くらいのことだったかな。

やっぱり飲み会か何かの時、オレが定蛇さんのことを何となくしゃべったらしいのね。
そしたら後日、参加者でそれを聞いていた競輪選手の一人から電話があって

「先輩の選手に親族が三高に関係している人がいるんですけど、野球も好きで定蛇さんにぜひ会ってみたいって言ってるんですが…」

「ふ~ん、そうなの?じゃ連絡しとくから、どっかで一杯やりましょう」

ってことになったの。

でも、なかなか実現できなくてさ。
コロナ禍だったし、それから いざ日にち決めようとしても とにかくスケジュールが合わないの。
特に競走のスケジュールって土日とか関係ないでしょ…

で、伸びに伸びて、さらに伸びてを繰り返し、先日ようやっと実現。

でも、今回だって際どかったんだ。
無理やり決めた実施日、選手2人は競走最終日。
たまたま同じ所に乗っかってたんだけど、オレん家の近所の西武園や立川ってわけじゃなかったからね。

あとさ、こういう問題もあるじゃん。

最終日まで当人たちが無事でいてくれるか。
(意味わかるよね?)
それから最終日、当人たちだけでなく同地区の選手たちがそれぞれ何レースに乗り何事もなく終えられるか。
(自分のレースが終りゃそれでおさらばできるってわけじゃなく、同地区参加選手たちのタイヤ取りやアクシデントが発生すりゃ面倒見たりってのもあるからね)

それが無事クリア出来ても、今度はこちらへ向かうまでの交通事情…

今回はついてない?ことに記念参加だったんで前検日入れて5日間連絡取れないってのも、こっちには結構プレッシャー?だったかな。
一応準備をしなきゃならない側としては直近の相談も出来ずでしょ。
も~、ヒヤヒヤもんで待つ長~い5日間。

(何事もなく帰って来れますように…)

選手のご家族たちの気持ちがよくわかったよ。
理由はかなり違うけど(笑)

ちなみに これまでは競走前後は避けようって風に調整してたんだけど、今回それでも強行したのは、それだと折り合える日がさらに厳しくなってばかりだったから。
大事をとっていたら一生できないかもってのがあったのよね…(笑)

意外なセリフが…

んなわけで今回の飲み会、遅い時間での開始にはなったけど実現にこぎつけて本当にホッとしたの。
遅いったって、自宅だからお泊りでやれるしね。
ただ、オレとしては時間気にせずでやれるのは非常に嬉しいことなんだけど、選手2人は当然疲れているし眠そうでちょっとかわいそうだったかな。

はい、それでね、今回の主役•定蛇さんの色んな話(野球界の裏話とか)をみんなで聞かせてもらってえらく楽しめたんだけど、その中にちょいとオレの心に残った話があったんで今日はそれを紹介するね。

ちなみに子育てや教育に関する話。
それの中で、こんなセリフが出たの…

「子供は否定でなく肯定、褒めて育てた方が良い」
「本人の前で他者との比較、特に他者の方が優れているといった類のことは言うべきでない」

あの動画と同じじゃん!

実はこのセリフ、オレはちょいと驚いちゃったんだ。

なんでかって言うと最近のオレにこんなエピソードがあったんでさ。

オレ、外国人の子育て系とか家族系ユーチューブ観るのって結構好きなのね。
日本人とは違う様々な生活スタイルや価値観を学べ楽しめるから。
で、その中に日本在留のとある一家の日常風景的動画があるんだけど、その家族の子育てぶりで注目する部分があったんだ。

小学生と中学生の子供が4人の6人家族なんだけど、特にお父さんが子供のことを常に肯定し褒めてやってるの。
過去の動画なんかも観てみると幼い頃から、もうずっと…

例えば、かけっこでビリになったとしても

「良くがんばったね!一生懸命走った姿本当に格好良かったよ!」

子供はニコニコしながら

「かけっこ、たのしかった!」

ちなみにオレん家の親だったら、間違いなくこう…

「遅えなあ…」
「運動神経が本当にないねえ…」

あとね、子供が何かを話すと、どんなことでもまずは相づち、共感から入るんだ。
必ず…

オレ風にもっとわかりやすく例えると、こんな感じ…

「パパ、け~りんじょ~行ってお金かけてやってみたいなあ」
「へえ~楽しそうだね~!競輪を知ってるなんてすごいじゃん!」
「パパも、ぜひ行ってみたいなあ~!」
「でも、お金を賭けるのは大人になってからにしようね」
「そ~だ!今度の日曜日レースの見物に行ってみようか」

子供の話をちゃんと聞きハナから否定するような事は決してせず、そして親としての感想や意見を伝えるの。

そりゃ「万引きしたいな~」みたいなセリフを吐かれたら相槌や共感なんてできるわけないけど、それでもそう思った理由をちゃんと聞いてやるの。
その上で、ダメなことはダメってちゃんと言うわけ。

この親子は、常にこういった感じでコミュニケーションとってるせいか子供の表情はいつも生き生きと輝いてて、何事にも積極的で色んなことにどんどん興味を示すんだよね。
勉強はもちろん、スポーツ、芸術…
遊びでもなんでも…

で、親にもいろんなことを楽しそうに話してんの…

面白いことに、動画を見ているこっちまで、すごく幸せ、楽しいって気持ちにさせられちゃうから不思議…
でね、同時にハッともさせられたの。

(子育てって こういう形の方が正解だったのかも…)

ゆえにね、この日 定蛇さんから同じような意味合いのことが口から出たんで驚いちゃったわけ。

ちなみに、我々古い世代ってまるっきり逆の育てられ方が多かったような気がすんの。

「おまえはダメだ!」
「何やってんだ!」

的な…
もちろんオレん家も典型的なそのパターン。

でさ、高校野球の世界なんて、今だに体罰その他色々な問題が上がり続けているし、定蛇さん自身、最初に話したエピソードのような時代の方でしょ。

そういう方から「子供は褒めて育てるもんだ」という言葉が出たんだから余計にね…

三高野球部で感じた違和感

あっ、でも待てよ…
そういえば大昔…

15年くらい前だったかな、こんな記憶もあるわ…!

初めて日大三高野球部にお邪魔した時、当然だけど?こんなイメージも持ちつつだったのね…

(天下の日大三高、監督も選手もさぞや凄まじいんだろうなあ…)

って…
当然でしょ?(笑)

でもさ、実際は全然違うんで逆にビックリしたってことがあったのよ。

鬼気迫るようなグラウンド風景想像してたのに、そんな雰囲気は全然なし。
選手達からも「おっかないニイちゃん」風のにおいがまるで漂ってこないの…

例えばオレの知ってる…
というか、イメージしてた高校野球ってのは、グラウンドでは監督•コーチが選手をかわいがる、裏で今度は先輩が後輩をかわいがる、ゆえにグラウンドはいつもピリピリ…
選手達の顔も何かの構成員風…
ってやつ。

オレが20代の頃だけど、たまに近所にあった強豪校の練習や練習試合見物してると もちろんそういうのが当たり前の風景。
そりゃも~見事に殴る蹴るしてたもんなあ…
一般の見物人もいっぱいいるんだけど批判的な声なんて一切なし…

これ、オレと同年代のとある三高OBのセリフなんだけどさ…

「オレんちの親父なんて練習見物に来ると、いつも『うちの息子は、もっと殴ってくれ~』だったもんな~…」

まっ、そんなわけだから思い切り違和感感じて、ここだけの話でって関係者に聞いてみたんだけど、我々の時代だったら当たり前のようにあったタバコレベルの話ですら

「今は合宿所のどっかで吸殻発見なんてこともないかなあ…」

これは一応日大三の話だからね、その時の。
だから余所の高校に関しては知らないよ。
念のため。

はい、話戻すけど、なるほど、その頃の日大三はもう新しい価値観による教育にチェンジされ、効果も現れ出してたってことだったのかも。

ちなみに、この初訪問した時って、日大三が夏の甲子園初Vを果たした2001年から5年後くらい。
ひょっとしたら この初Vって新しい価値観に変わってから成し遂げられたものだったのかも。
で、その後も三高は安定した強さを見せ続け、初訪問からまた5年後の2011年に2度目の夏の甲子園V。

もし、2度のVを含め現在に至るまでの安定した強さが新しい価値観によってのものだったとしたら大いに考えさせられる出来事だよね。

ゲンコツよりも

これもチラッと聞いてみたことがあるんだけど、若かりし頃の定蛇さんや小倉さんも前時代的な指導をやってたことはやっぱりあったんだって。
(注/オレが知ってた高校野球のパターンの方ね)

そりゃまあ、そうだと思うよ。
それまでの三高だって、ものすごい結果を残してたわけだから。

でも間違っているのではと感じ大改革を行ったってことのよう。
技術、戦略的な部分も含めて…
(こっちの部分は今回の話題には全然関係ないから省くけど)

で、結果として新しい価値観に変えてから昔をはるかに上回る成果を上げたってことみたい。
なるほど、だったら答えは明白なのかも。

さて、というわけで改めて今、部外者の我々にも

「子供は褒めて育てろ」

って言葉を送ってくれたんだからこれは大いに参考にしないとね。
オレはもう手遅れだけど選手2人はまだ子育て真っ最中だし(笑)

なるほどなあ…
たしかに叱られてばっかよりほめられてって方が、やる気もどんどん出てくるし 気もちも前むきになるもんね

うちの上~司たちにも、ぜひ聞かせてあげたいなあ~(笑)

…と言いつつ

ただそれでもね、オレ自身にはこういった思いもちょいとあるにはあんのよ…

かなり昔の話だけど、仕事を手伝ってくれていたアシスタントさんたちにふと感じたことがあったの。
ずいぶんのんびりした感じでやってるなって。

一応皆さんプロ志望でそれなりの能力も持っているんだけど、30前後くらいの年齢になってもあせりとか必死さがそれほど伝わってこないタイプが何人かいたのね。
もちろん、本当の内心はわかんないけどさ。

で、そういうタイプに共通してる一つが親が応援しているってパターン。
それに加えて、例えば実家で同居させてもらえてるってパターンは、さらにのんびり感が強かったような記憶があるの。
もちろん本気で取り組んでいる場合は、自活しながらってパターンより集中してやれる分 最高の環境ではあるのよ。

でも、オレはこんな風に思っちゃったわけ…

(応援されるってイコール肯定されてるってことだもんな…)

要は30前後の年齢で実家で生活の面倒を見てもらいながらマンガを描いているという状況でも、とりあえず納得してもらえてるってこと。

ある意味では羨ましく感じちゃったよ。
オレも結構実家を利用してたけど、否定と説教と「出てけ」ってセリフしか無かったから。
そもそも、マンガを職業とは見なしてもらえなかったし…

ゆえに、1分1秒でも早く結果出さなきゃってことで、そりゃも~あせりまくりの日々…

要はバランスだよね

もちろん当時の彼らだって真剣だったろうし、早く結果を出したいって気持ちも同じようにあったとは思うんだけど、それでもその時の趣味や遊びの方にもかなり気持ちがいってるような印象は まあ あったかな…

そりゃオレもアマチュア時代、ごくたまに(笑)競輪行ったりしたこともあったから偉そうなことは言えないけどさ(笑)
(幸いデビュー前の1年間くらいは金欠になったおかげでテレビ観戦のみ。だからプロになれたのかも?)

とにかく現時点での状況を肯定されているって、精神的プレッシャーはけっこう緩和されるよね。

ちなみに数は少ないけど、うちのアシスタント経験者でプロになれた人って やっぱりギラギラ感が出ていた気がする。
例えば同様に実家を利用していた人でも…
こいつにはかなわないな、ってくらい机に向かい続けていた感じだったし…

まっ、そんな記憶もあるんで「褒める」「肯定してやる」って向き合い方にも若干の注意は必要かなって感じたりもするってことなんだけどさ。

結局のところは本人次第ってとこなんだろうけど。

もし、オレの親が親切なタイプだったら果たしてプロになれてたかってのは正直考えちゃうとこもあるしね…
オレの場合は、やっぱ あの強烈な精神的圧力が大きかったのかなあ…

というわけで、親にはやっぱ感謝しないとね(笑)

そんなに、いろいろ言われてたの?(笑)

ハッハッハッ
まあ親からすりゃ、子供には真っ当な道歩んでもらいたいって思ったんだろうけどさ…

ハイ!
とゆ~わけで今回はおしまいです!
け~りんファンのみなさま。
選手たちへの「指導~」や「教~育」は、とりあえず「バ声〜」より「声〜援」かもですよ♡
でわ!

A面マンガにもどる

91話 二木茂則『未婚社会と競輪』

いつもは、おっとりした感じでやさしい顔だちの二木さん。
でも、なぜか今日はちがってるの…
どしたの…?

二木茂則

二木茂則

きょ~ふ!毎年、1県ぶんづつ…?

あたし二木さんの話を聞いてて、ちょっと不安になってネットで検索してみたの。
そしたら も~、超~ビックリ!

去年の日本の出生数が80万人を割って、逆に亡くなった人は約160万人だったんですって。

単純に約80万人、日本の人口が減少したってことなんですけど、ちなみに80万人って山梨県とか福井県、佐賀県の人口がこれくらいだそうなの。
ちなみに一番少ないのは鳥取県で約60万人…

これから毎年、1つの県の人数が消えていってしまうってこと?
今、47都道府県でしょ…

10年後、20年後はいったいどうなっちゃってるんだろう…
そのころって、あたしはまだ40歳くらい(笑)だし…

こりゃ、たしかに二木さんじゃなくても心配になっちゃいますよね。
競輪場にお客さんの姿がふえないってゆ~のもうなずけます。

あたしたちの努力不足ってだけじゃなかったんですね…

でも、ホント、ど~なってしまうのかしら…

ん、なにか忘れた…

あっ、いけない!
ここって本らい 二木さんの紹介コーナーでしたよね。
二木さんのことしゃべるの忘れちゃった(汗)
ゴメンなさい!

西武園OB 関優勝(37期)

い~よ!
二木のことなんて、ど~でも!(笑)

二木より子づくり?

まあ、個人的には佐賀県がこの日本から消滅してくれるってことに関しては若干胸がスッとするってとこもあるにはあんだけどよ…
あっ、中野さん(浩一/35期•OB)なんてオレ以上に気分いいかもな(笑)

若い連中にはピンとこねえかもしんねえが、佐賀ってのは昔 本当凄まじいのが生息してた地区だからさ
ハッハッハッ

まっ、とにかく あたり!
おまえ、相手なんか犬でも猫でも誰でもいいから今後20~30年くらい毎年子供作れ!

20~30人産みゃ、そのうちの1人や2人競輪場来るやつも出てくんだろ…

センセェ、世の中でだれにも相手にされない存在でよかったね
もし、ちめ~どのある存在だったら炎上してたいへんだよ…

炎上?
アホ!
オレが、いつの時代に選手やってたと思ってんだ
地球上で一番罵声、誹謗中傷浴びせられ続けたのが あの時代の競輪選手だぞ

がんばれ300勝

ハッハッハッ!
さて、「ど~でもいい」と言いつつ、それでも少しは二木の話にも触れなきゃか…

二木といったら大きな構えの のそっとしたフォームからノソノソノソって追い込んでくるってイメージだよな。

シャープさはあんまり感じられないけど、その割にはノソ~っとだけど前にきっちりついて来ててさ。
千切れそうで千切れねえし、追い込めなさそうで追い込むし…
そこはやっぱベテランならではのうまさってとこか…

で、ノソ~っとしてる割には300勝も もう目の前。
まあ、元々は先行捲りでS級を戦った男、顔はやわらかめだけど手堅く、かつしぶとく生きてきたいい選手だよな。

がんばって300勝達成してもらいてえな。

白岩大助

寡黙な人

二木選手は普段から1人で練習する事が多く選手との付き合いはあまりないイメージです。
そしてレース参加時は全国どこにでも車で参加しています。

常に1人で練習出来るというのは凄いなぁと昔から尊敬しています。
私の場合は他の選手達と一緒にやる方がモチベーションが上がるのでこれも素質ですね。

また車で全国どこにでも行ってしまうというのも凄いなぁと感心しています。

私も一度、小倉ナイター競輪に1人で車で参加した事があるのですが、帰りに夜通し運転していたためにレース後はしばらく時差ボケのようになって体調を崩してしまいました。
1000キロオーバーは私には無理でした。これもまた素質ですね()

寡黙な人なのに

二木さんは川口市出身で私が引っ越すまで同じ地区だったのですがデビュー当時に地区の忘年会があり、とても寡黙な二木さんがコンパニオンのお姉さんと凄く楽しそうに戯れていたのが私の二木さんの1番の記憶に残ってるエピソードです。

ちなみに私も含め皆んな戯れていましたよ()

へえ~
二木さん、あたしともよくたわむれたりおしゃべりしたりするけど、けっこ~ うわき症かな(笑)

 

新井剛央

えっ⁉︎

支部長が言うように二木さんは、1人で練習する事が多い先輩で競輪場でもあまりお会いすることも少ないですね。

自分の中でのエピソードとして、副支部長をやらしていただいてから各開催の先頭誘導員を自分が選出しているのですが、何年も二木さんが先頭誘導員の免許をとってなかったのでずっと不思議に思ってました。
そこで開催が一緒だった時に二木さんに聞いたところ

「なんとなーく誘導員の免許をとってなかった」

っと仰っていて、不思議な感覚な人だなという印象です。

やわらか~い先輩

人がとても優しい方で競走スタイルもあまりガツガツとやるタイプの人のイメージはありませんが、チャンスをものにできる差し足はまだまだ健在だと思います。
これからも怪我なく頑張っていただきたいです。

二木さん………
おもしろすぎる~~~~!!!

さすが二木!
オレらの頃は、超一流どころは誘導はやらねえってのがあったかんな(笑)
貧乏な連中の稼ぎ奪っちまうわけにもいかんだろ(笑)

あっと!
ただ超一流はやらんと言ってもオレだけは例外な
誘導技術が古林昭二(46期•OB)並みに天才的だったんでリクエストが多かったもんでよ
ハッハッハッ
(※番外編9参照)

センセェ………
つまんなすぎ~~~~~……

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