81話B面『おせわになりました!』

ふひ~…
ふぁい、B面です…
とにかくアツくてアツくて、も~気ぜつしそ~なあたしです。
あと、テキト~にやっといて…
キュ~~バタッッ…!


ありゃま…
あたりちゃん倒れちゃった。

じゃ、がんばってオレがおしゃべりするか…
オシッ、最近の嬉しかった話を一発!

お~〇〇さんか!

最近っつっても、もう一月くらい前のことなんだけどさ。

大昔、講談社の担当編集者だった方から近況報告のメールいただいたの。

かなり久しぶりだったんで、懐かしさから返信合戦になりかけちゃった(笑)

歳をとると昔のことを思い出すことが多くなるんだけど、古い知人とかから連絡もらうってすごく嬉しいんだよね。
若い頃に戻ったような気分にもなるし。

ちなみにその編集者の◯◯さん、オレが連載10年近くなった30代半ばくらいの頃、新人編集者として配属されてきたの。
ゆえに歳の差は10歳くらい。

新人といっても新卒で即配属されて来たってパターンではなかった気がする。

当時、編集部門の新人はまず『フライデー』とか『週刊現代』みたいなとこ経験してってパターンが多かったようにも記憶してるんで、たぶん彼も他を経由してって流れだったんじゃないのかな?

つまり漫画編集部の新人ってこと。

かなり昔のことだから正確なところは忘れちゃったけど、ひょっとしたらオレが担当作家の第一号だったのかも。

大丈夫かなあ…

ちなみにそれまでの担当編集者は上の世代か同世代ってとこだったんで、かなり年下っていうのは◯◯さんが初めてだったのね。

なもんで多少戸惑いというか不安はあったのよ。

それまでは、少なくとも漫画の編集業務に関しては熟知している方たちにお世話になってたわけだから。
(仕事ぶりや仕事に対する姿勢、人間性は別としてね)

オレだって、まだベテラン作家って言えるほどの実感はなかったしさ。

え~~っっっ⁉︎

でもね、担当替えの時、当時の編集長にこう言われたの。

「タナカさんには今までベテランの編集者をつけて色々教えてきたんだから、今度はうちの新人編集者を育ててやって欲しいんだ」

光栄なお言葉だけど、オレは少々引っかかったんだ。

瞬間、思ったもん。

(オレがいつ色んなこと教わってきた⁉︎
(誰がオレに教育なんかしてくれたよ???)

なぜ、こういう風に思ったかっていうと、もちろんちょいとした事情があったからなんだよね。

それまでの担当編集者さん…

漫画の仕事って、描く内容をその都度、作家と編集者が打ち合わせをして作っていくってのが通常のパターンなの。
けど、オレはちょいと特殊なパターンで内容に関しての打ち合わせ、ネーム(ラフな完成見本みたいなもんかな)のチェックは無し。

勝手に原稿描いて、上がったら編集者が取りに来るっつう殿様級の形がデビュー早々の時期から定着しちゃってたのね。
(いちおう天才っつう位置付けだったからさハッハッハッ…ウソ!)
(描いてたのが競輪っつうのもあったのかな。競輪知ってる編集者さんっていなかったし)

編集者が原稿取りに来る時が打ち合わせっていや打ち合わせみたいなもんなんだろうけど、ゆえに漫画に関する話なんてほとんど無くてもっぱら雑談。
(あったとしてもほとんどが禁止用語や禁止表現に関すること笑)

そういや、とある編集者さんが担当の時なんて、そのうち原稿取りにバイト使ってオレん家に来ることすらしなくなったもん。

編集部内での業務もほとんどバイトに振って、いつもどっかに行って仕事以外の何か?をやってたみたい…
(その人、のちに編集長にバレて怒鳴られて、しぶしぶ来るようになったけど…)
(でも笑っちゃうことに、その人後年、マンガの部署じゃないけど編集長になってふんぞり返ってた)
※オレに近かった人なら誰のこと話してるかわかったでしょ(笑)

ゆえに、オレはいつも一人ぼっち?で仕事してたって思いが少なからずあったわけ。

そりゃ、つまんねえことなら学べたよ、かなり。
今もちょっと話したけど

「勤務中、オレの担当編集者がオレと打ち合わせをやらないのは当たり前」

「勤務中、オレの担当編集者が外ではもちろん、編集部内でも酒飲んでるのは当たり前」

「勤務中、オレの担当編集者が原稿取りにすらこないのは当たり前」

「勤務中、オレの担当編集者が雀荘にいるのは当たり前」

「勤務中、オレの担当編集者がオレん家来るふりして女性の家に行っちゃうのは当たり前」

「勤務中、オレの担当編集者が…(あっ、これは言えねえ…)」

的なことは…

すごい人ばかり

繰り返すけど、とにかく当時のオレのそれまでの担当編集の方々といったらさ…

え~っと5~6年前だったかな?
とある用事で年配の講談社の方がオレん家訪問してきたことがあったんだけど、話の流れでオレの歴代担当者の名前を上げることになったのね。

で、その時の相手の反応が

「う~ん、すげえな…」
(※実際、なんと口にしたかは内緒)
(※ちなみにこの言葉を発した方も、他の編集者には「う~ん、すげえな…」って言われてたけど笑)

なもんだからオレとしては、編集長の言葉にはちょっと納得いかねえなって気分で◯◯さんを迎えたんだ。

(とはいえ、それまでの編集者さん達に疑問を感じてたのは仕事に関する部分と人としてどうかって点だけで、それを除けば皆さんとても個性的で魅力的。大好きだったかな。冗談抜きに。こういう生き方できたらいいなっていつも憧れてたもん)
(オレにはとても無理だったから笑)

天の助け?

でも、心配は即吹き飛んじゃった。

だって、こういっちゃなんだけど、それまでのベテラン編集者さんたちと違って真面目でまとも、業務だってしっかりこなす、オレにとって最高に頼れる存在になってくれたんだもの。

最初っから!
(たとえ他部署経由だったとしても年齢的には入社1~2年のはずだからすごいことだよ)

スペースの関係で具体的なエピソードは無しだけど、その後本当に公私ともにお世話になったんだ。

人間としてもオレより何十倍も大人だったから、いつも助けられることばっかり。
どちらかっていうとオレの方が年下で一回り年上の人間に色々教えてもらってるって感じだったかな。

迷惑もかなりかけたし…

そういった意味では、編集長の「編集者が色々教えて…」って部分は、順番は逆だけどたしかに実行してもらえたってことにはなるのかも(笑)

あの時の青年が…

でね、◯◯さんには5~6年くらいかな?
忘れちゃったけど、期間としてはけっこうな長さで担当していただいたんだ。

「安定コンビだったから、編集長も担当異動のこと忘れちゃってたんじゃない」

って言われたくらい、超優良な編集者と作家のコンビだったんだよね。
(一応オレだって作家としては真面目な部類の方に入ってたんだから。自己評価だけど)
(読者にはそう思われてなかったろうけどさ)

で、メールの話に戻るけど、その◯◯さん、今年50代に入り、25年続いた編集職から他部署に移るっていう報告だったのね。

25年のうちほとんどは結局漫画でなく文芸部門の方だったんだけど、でも小説家さんや文章書きさんたちにとっても◯◯さんは本当に良い編集者だったろうなって思えるな。

一人、また一人…

ほんでさ、こんな文面もあったの。

「△△さんも今度定年で…」

いやも~、なんというか…

ついに同世代、というか年齢的には下って層まで定年を迎えることになってきちゃった。

◯◯さんは、まだ10年あるけど、知ってる編集者さんたちがどんどんいなくなるってやっぱり寂しく感じるもんだよね。

最後にこんな一節。

「世の中が落ち着いたらゆっくりお会いしましょう」
「タナカさん担当してた他の編集者交えて飲めたら楽しいでしょうね」

って言葉、最高に嬉しかったなあ!
編集者の方たちの記憶に残してもらえてただけでもありがたいのにさ。

まあ、でもきっと面倒くさい作家の一人ではあったってことなんだろうね。
(今はすごくそう思える)
しょっちゅう朝までオレの愚痴に付き合ってもらったし…

電車の乗り方がわからない

もっとも編集者さんが訪ねてくるのは深夜に近い時間帯がほとんどだったんだけどさ。
(今は知らないけど、当時の編集者の活動時間帯って午後の2~3時くらいから朝方までって感じだったのかな)

今と違ってデータやメールでのやり取りなんてない時代。
だから、打ち合わせでも原稿取りでもいちいち作家宅に出向かなきゃなんないし編集者さんも本当大変だったと思うよ。

もっともこっちだって、ゆえに家からほとんど出ないってパターンになってっちゃうんだけどね。
悪い意味で。

漫画の仕事って昔はすべて手作業でしょ。
連載を持つと、いつも時間に追われている状況が続くんで、編集者に限らず常に相手の方が出向いて来るって形になっちゃうの。

おかげで電車の乗り方どころか切符の買い方すらわからなくなって後年本当に困ったもんなあ…

電車に乗るのって冗談抜きに数年に1回有るか無いかレベルだったもん。
(用事があればぜんぶ車)

その名残で今も公共交通機関利用する時って緊張しっぱなし。
一人じゃどこにも行けねえし…

なるほど、センセェがいつも駅とかでオロオロモタモタしてるのは、そ~ゆ~ことか!

おっ、あたりちゃん
起きてきたね(笑)

え~と…
前に浦島太郎の気分になったって話をしたことがあったと思うけど、なかったかな?
オレが出版社に原稿持ち込んでた頃って改札で駅員さんに切符切ってもらうってパターンがまだ残ってた頃よ
高田馬場駅ですら。

それが30年後、いきなり無職になって社会に放り出されてみなよ…
長年務所暮らしした後シャバに出た方達の苦労や気持ちって、オレは本当によくわかるね

アッハッハッ

また色んな話が聞きたいな

でもさ、その編集者の方って
センセェにとって本当に大きな存在だったんですね

うん!
担当替えしないでくんないかなあって頼んだくらいだったもん

けど、その後も色々な方達と仕事ができて素晴らしい人とも新たに知り合えたからね

そういうものなんですねえ…
競輪ぎょ~界もいろいろたのしい?ですけど
センセェたちのぎょ~界ってなんかすごくたのしそう!

うん、オレは楽しかった!
ネットが無い時代でしょ
世の様々な事件だったり芸能人のスキャンダルだったり、真っ先に聞かせてもらえたりもしたなあ…(笑)

なるほど、情報の最先端だったわけだもんね

それからさっき初期の担当編集者さん達のことちょっと話したけど
その他
パワハラ、セクハラ、飲酒アレコレ…

今、どっかの週刊誌が糾弾しまくってるような色んなことを芸能人とか政治家以上に先頭切ってやってたのが…

あっいけね!
全部ウソ!

なになに聞かせて!
おもしろそ~!

ハッハッハッ
競輪だって昔は落車失格当たり前
点数引かれやお帰りもなしって時代もあったでしょ
そういうこと

なるほど
出版業界ってそ~ゆ~とこ
だったのか…

だからオレは本当に困ったよ!
前回も口にしたけど、キリスト教徒の息子だよ
競輪はやってたけど(笑)

だから◯◯さんはそれだけでも立派なの!
もし、◯◯さんが週刊誌で何かのスキャンダルを叩くような記事を書いたとしたら
オレは納得して読めちゃうね
記者やってたわけじゃないけどさ
だけどあの…(ピ~~~~!)

あっ、でも色々ウソも交えて一方的に話したけど
初期も中期も後期も含めて、各時代の編集者さんたちに本当に良くしてもらえてきたってのも事実なんだけどさ
さっきも話したように皆さんのこと大好きだったし

亡くなってしまった方もいらっしゃるけど
「本当にお世話になりました」
だね

おいタナカ!
おまえもウソつきぶりにかなり磨きがかかってきたな
グエへへへ

えっ、どの部分?
へへへ

ん~~~
こりゃなんかありそうだな(笑)

でも、どんな世界でもながく従事していると語りつくせないくらいいろいろなことがあるんでしょうね。

そして歳をかさねたとき、たのしい思い出ばなしにできたのなら、すっごくステキなことだと思います。

あたしたち現役世代もますますがんばらなきゃ!
でわ!

 

あ~っと、いけない!
日にちがけっこうたっちゃって
宮杯ゆ~しょ~のコショ~選手のことおだてとくのわすれちゃった

つよかったですね~!
おめでと~ございま~す!

でわ!

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2 Replies to “81話B面『おせわになりました!』”

  1. 田中さんはえちえちを描かせてもイケる。でも最後はシュールレアリズム。(ちなみに悪党については「ふーん」程度。立浪の旧き悪しき昭和脳野球の方が興味あり。)

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