はじめに

「埼玉県および西武園ホームの選手」、「大宮•西武園記念優勝選手」、「G1•GP優勝選手」等の登場マンガと、何でもネタマンガを交互に更新しています。

SR80話『2025あたらしいお友だち!』

さあ、今年も新人せんしゅたちが本格的にデビューとなりました。
埼玉支部からは2名。
みなさま、くれぐれもあたたかいご声~援だけをおねがいいたします。
今の時代、罵声や悪口、イヤミ等のハラスメントは流行りませんからね(笑)

 

あたり

支部長~、グッジョブ!

あたり

さて、みなさま!
今回は新人せんしゅの登~場ということで、関センセェ、白岩支部長、新井副支部長からお言葉をいただいております

 

古い価値観も捨てたもんじゃないぜ

今年の新人は2名ってことで、例年に比べると少ねえよな。
まあ、支部にとっては少々残念ってとこだろうけど、大事なのは質だからな。

たとえ2人でも、5人、10人分の働きをしてくれりゃ問題ねえ。

横文字世代ったって、まだ完全に漢字が消滅したってわけじゃねえんだ。

まずは、地区のための己の役割をキチンと果たすってことからしっかり学んでいって欲しいな。

「単騎は損気」

とも言うだろ。

競輪ってのは、仲間あってのものなんだとオレは今でも思ってんだ…

 

あたり

それって、正しくは
「短気は損気」
なんじゃない?(笑)

関

おまえってのは、空気の読めないヤツだな…

 

新井剛央

木村優駿くん!

木村君は、木村健司選手(85期)の息子となります。

高校時代には競輪競技で全国高校選抜とインターハイを優勝している逸材です。
養成所の方でもゴールデンキャップを二回取るなど将来が有望されている選手ですね。

バンク練習の時たまに一緒に自分もやらせてもらうのですが、若手らしいキレのあるダッシュ、ちょっと細身ですが、逆に武器にして7月からの本デビューに向けて頑張っていただきたいですね。

ちょうどこのコメントを書いてる日に大宮競輪場で新人紹介があったのですが、大宮記念を優勝してグランプリに出たいという素晴らしい目標を立ててくれています。
まずは怪我に充分注意して、一走一走頑張っていただきたいです。

吉田夢希斗くん!

吉田君は、吉田勇人選手(86期)の息子となります。

なりよりも自分と同期の息子でとても考え深いです。
産まれた時から夢希斗のことは知っていますし、いまでも家族ぐるみでお付き合いさせてもらっていますので、自分の子供のように応援したくなります。

エピソードとしては、中学まで水泳一本で頑張っていたんですけど、高校生に父親からうまく誘われて(笑)自転車の世界にのめり込みました。
水泳で厳しい練習をこなしてきたおかげで、すぐにタイムも出るようなったそうですが、まだまだ課題(特にダッシュ力)があるそうです。

レースの方もまだ数回走った程度ですが、荒削りの部分もありますし、もっともっとレースを見て勉強も必要だと思います。
焦らず一走一走頑張ってもらいたいです。

2人とも2世選手として色々と注目されると思います。
先日残念ながら引退した平原康多のように、誰からも愛される素晴らしい選手になっていただきたいです。

 

白岩大助

がんばれ!息子たち

木村、吉田の新人2人についてはまだ実際に深く関わって来たわけではないので私からのエピソードというのも多くは語れませんが、まさに副支部長が言うようにダッシュタイプの木村優駿、そして地脚タイプの吉田夢希斗と両極端な脚質を持った新人選手になります。

4 月に宇都宮で行われた関東合同合宿に2人も参加したのですが、木村くんは目標とする選手が眞杉選手だと言うことで実際に日本選手権に向けて合宿に臨んでいた眞杉選手に自転車のセッティングをみてもらったりしていました。

眞杉選手の他にも吉田拓矢選手もいてルーキーシリーズのデビュー戦より前に超一流と一緒に練習をさせてもらったり、アドバイスをもらえたのはとても良い刺激になったと思います。

そしてその後の日本選手権では『令和の関東ゴールデンコンビ』と称される吉田、眞杉選手で見事に決勝ワンツー、数日前まで一緒に練習をさせてもらった選手が最高の結果を出したのを見て更に感じるものがあったと思います。

脚質の異なる2人がそれぞれ高め合って、その偉大な選手たちと同じステージに立ち一緒に走れる日を楽しみにしたいと思います!

それにしても木村くんも吉田くんもお父さんである健司選手、勇人選手が私とほぼ歳が変わらず、高校生の頃からの付き合いですが、その息子さんが競輪選手になったと言うのは、ここまであっという間に感じましたがそれだけの何月が経っているのだと改めて考えさせられました。

我が家の子供たちは小学生なので、その歳になるまでまだまだ先の事ですし、競輪選手になりたいと言う話は思い付きで言ったりする程度で、聞くたびに将来の夢が違う状況ですが、まずは私が現役選手としてまだまだガンバってる姿を見せて記憶に残していきたいと思います。

 

B面ざれごとはこちら

SR80話B面『デビュー前・デビュー後』

本日のざれごと

新人選手のデビューのたびに、なぜかふくざつな心境にもなってしまうあたしです。
はあ~~
も~少し、時間のながれがゆるやかになってくれるとい~んですけどね…(笑)
ところで、センセェ。
センセェは、新人時代って、どんなだったの?

たぶん大変だったんだろうけど、無我夢中であっという間に過ぎていったって感じかも…

あ~、だったら あたしも同じかな
毎日毎日、飲み会にひっぱりだされてセクハラのオンパレード…
ってのはウソですけどね
アッハッハッ

男の場合、そういうのは無いけど、でもすべてが一変したって感覚はあったね

まず最初に

オレは1988年にマンガ家デビューできたんだけど、前年まではオケラ、オケラ、またオケラ…の人生(笑)

バイト代や貯金を原資に競輪通って、最終的にはパーって日々で、いよいよお金が底をついて再びバイトって時にデビューできちゃったの(笑)

今は笑って話せるけど、当時は本当笑い事じゃないってレベルだったんだから(笑)
自己責任とはいえ…(笑)

でさ、原稿料が入って まずやったことって何だと思う?

お肉屋行ってコロッケを5~6個買ったのかな…
そんで自販機でタバコを買って

(あ~、オレもこれで食い物でもタバコでも好きな時にいつでも買えるんだなあ…)

って感激したの。
(※実際には、この段階で、その保証はまだなかったんだけどね笑)

なにしろ それまでって、とにかく金の工面に苦労してたでしょ。
競輪場でも、食い物はほとんどガマンしてたし、タバコもよくシケモク吸ってたから…

仮に車券で儲けが出た場合でも、翌日の資金としてストックしとかにゃならんかったしさ…

まあ、それでも その頃はまだ実家に居候してたんで、本当の意味で苦労してたってわけではないんだけど、やっぱりそりゃあね…

そういや、同居の祖母に、もらいタバコもよくしてたっけ…(笑)

なもんだから、コロッケとタバコは今でも覚えてるの。

一夜にして

すべてが一変したって言ったけど、そりゃも~本当に笑えるくらいに変わったかな。

たぶん、21歳くらいだったかな?
その頃にマンガ家目指し始め、学校卒業後バイト生活を開始。
その後、24歳で1回挫折して就職。

でも1年足らずでやめちゃって、マンガ再チャレンジ。
27歳の時 奇跡が起きてデビュー。

で、デビューできるまでの話なんだけど、例えば「マンガ家目指してる」って友人やバイト先の人に話するとするじゃん。
最初の頃はまだ良かったのよ。

「へえ~、がんばれよ」

ってな反応くれたから。
本音はわからんけど。
あと、親は別として…

でもさ、結果の出ない日々がどんどん続くでしょ。
反応がどんどん変わっていくの。

「いつまで、そんな事やってんの」
「いい歳して…」

さらに変化していって

「バカじゃねえの!なれるわけねえじゃん」
「真面目に働きな!」

終いにゃ

「クズ!」

どんどん人から相手にされなくなっていって、例えば挫折時の就職の面接でもニヤニヤされ小馬鹿にされてるような感じだったもん。
負け犬根性で一杯だったってのもあんだろうけどね(笑)

あと、親族からの圧力も相当なものになってたなあ…

それに加えて、あろうことか、競輪まで始めちゃってたでしょ(笑)

ゆえにデビュー直前の頃には、親しい友人、知人は ほぼ無し。
親族にもまったく相手にされずってくらいになっちゃって…

けどさ、作品が雑誌に載った瞬間、またまた思い切り変化!

誰にも相手にされなくなってたはずなのに、称賛の電話が複数かかってきたりとかさ…

「いやあ~、大したもんだ!」
「キミは必ずこうなると思ってたよ!」
「ものすごい才能だね!」

ちなみに家族、親族には、新人賞で賞金もらったことは話したけど、雑誌掲載のことは秘密に。
当時、競輪やってる事がバレたら大変だったから(笑)

競輪の社会的イメージが、まだまだ低かった頃だし…

もちろん、マンガが掲載されていることはタレコミが入って すぐバレちゃったけど、内容が競輪って事に関しては編集部の企画って風に、それから10年くらい言い張ったね(笑)

【※ある日の母親との会話】

※母親
「弁護士やってる知り合いからこう言われたんだけどさ…
『おたくの息子さん、気をつけたほうがいいよ。
アレ、昨日今日 競輪始めたような人間に描けるようなものじゃないから』
って…」

※オレ
「競輪なんてやったことねえけど、編集長から命令されたって言ってんだろ!
あかの他人と息子の言うこと、どっち信用すんだよ!」

キリスト教徒は大変なのよ(笑)

(※補足)
オレ、デビュー時って、ウソいつわり無く昨日今日始めたようなレベルで描いてたのね。
だから、その点は弁護士さんの見立てハズレだったね。
競輪場通い出したのは1985年からだもん。
真面目には通ってたけど…♡

人間から商品へ

あとさ、こういうのもすごい変化に感じたな。

面接の時の話をしたけど、デビュー前は、例えば背広にネクタイ締めているような年長の方たちには小馬鹿にされてる感覚があったって言ったでしょ。

けどさ、デビューすると、どうしたってそういった方々と接する機会は増えるじゃん。
でさ、そういった方たちが次々と名刺を差し出して頭を下げてくるんだよね。

そりゃビジネスの場だから当たり前っていや当たり前なんだけど、やっぱり最初はとまどったよね。

でも、これだけはすぐ自覚できたかな。

(これはオレって人間に対して頭下げてるんじゃなくて商品としてのオレにだから勘違いしないようにしなきゃ…)

って。

その時は、たまたま商品として成立したからいいけど、そうじゃなかったら間違いなくデビュー前の反応が繰り返されてたはずだからね。

で、これは晩年になって改めて芽生えた考え方。

(プロってのはあくまでも商品、商品だから成績によって扱いがガラリと変わるのは当然)
(まず、情や礼儀を持って扱って欲しいみたいな気持ちを持ったら傷つくだけ)

って。

そういうのを求めていいのは引退後って風に…

というわけで、最後は話が少々ズレちゃったけど、プロ経験できて本当に良かったなって、今思うね。

一夜にして周りがガラリと変わる感覚なんて、なかなか体験できないと思うしさ…

う~ん…
あたしたち社会人もある意味プロのわくぐみの中に入ると思うんだけど、やっぱり まずはひとりの人間としてあつかってほしいって思うけどなあ…

あ~、なるほど…
そりゃまあ、そうかもね
んじゃあさ、オレが言ってたプロは、自分を商品として商売する形式のってことにしとくね

ということはケ~リンせんしゅは…

だから、ボロクソに言われたりもするし、成績如何で扱いも待遇も変わったりするわけじゃん
20代前半で億稼いじゃうことだって可能なんだから、一般的な職業と同じではないよね

センセェもボロクソに言われたりすること あったの?

い~や、ぜんぜん…
残念ながら、そこまでメジャーな作家になれなかったもん
「あ~、くやし~!」笑

【特別記事】

5月30日、長年にわたり競輪界トップ選手として活躍した87期・平原康多選手が引退をなされました。
いまはただ、「おつかれさまでした」という言葉しかありません。
そして
「ありがとうございました」

 

というわけで、タナカセンセェからも一言…

あたりちゃんと同じ
「おつかれさまでした」
だね

と言いつつさ、とてつもなく大きな存在に突然去っていかれるのって、ファンにとっては、やっぱり衝撃はでかいよね
でも、ご本人が長い間 悩み苦しんだ末の決断とのこと
ここは、ただただ拍手で送ってあげるだけだね…

それにしても、競輪ファン、競輪選手、地元地区に 残してくれた功績は特大!
改めて、感謝、感謝!

【9R優秀】
①皿屋  豊 (三重) 111期・S1 ④
②松浦 悠士 (広島) 98期・S1 ⑥
③小原 太樹 (神奈) 95期・S1 ❶ 差し
④渡部 幸訓 (福島) 89期・S1 ❷ 差し
⑤中野 慎詞 (岩手) 121期・S2 ③
⑥笠松 信幸 (愛知) 84期・S1 ⑧
⑦平原 康多 (埼玉) 87期・SS ⑤
⑧吉澤 純平 (茨城) 101期・S1 ⑦ B
⑨太田 海也 (岡山) 121期・S2 ⑨ H

 

というわけで今回はおしまいです!
「でわ!」