
お正月きぶんも、とっくのと~にぬけてしまった今日このごろです。
こよみのうえでは、ビッグイベント『大宮きねん』がおわってしまっておりますが、制作スケジュールの関係で、今回は触れることはできません。
こまっちゃったなあ~…
「センセェ、なんか話のネタな~い?」

う~ん…
ネタっていう言い方はしたくないんだけど、年明け早々、ちょっとショックな出来事はあったんだよね…
30年くらい前にオレの担当編集やってくれてた方が亡くなったって連絡を受けたの
まだ50代半ばで、オレよか8歳くらい年下だったみたい…
ハッキリ覚えてはいないんだけど、たぶんオレが30代前半、彼が25歳前後って頃から5~6年担当してくれてたのかな…
だから、本当に大昔で、しかも最後に顔合わせたのも おそらく20年くらい前…
そのうち会いたいなあなんて思いながら、気がつきゃ月日だけ経っちゃったってパターンでさ…
結構年下だし、まさか亡くなってしまうなんて想像すらできないじゃん
愕然としちゃったよ…

長い月日がたってても、そういう想いがつづいてたってことは、その方とは きっと いい関係だったんだろうね…
オレって おそらく、過去に20人くらいの編集者さんにお世話になってるんだけど、オレが唯一怒鳴ったことのある編集者!
たしか
「ふざけんなコノヤロ~!とっとと帰れ!」
って風にわめいたんだっけかな…
セ、センセェって、そ~ゆ~ガッツのある人だったの!?
オレの方から話ふっちゃった以上、話さないわけにはいかないか…

■若き担当編集者
ほんじゃあさ、彼のことは、とりあえずAさんってしとくね。
Aさんが、『ギャンブルレーサー』の担当編集してくれたのは1992~3年あたりから、たぶん5~6年間。
ちょうど吉岡稔真さん(65期・OB)が出現し、いきなり大活躍を始めた頃ね。
ちなみに連載初期は担当編集者さんって1~2年サイクルくらいで交代になっちゃってたんで、たしかAさんは5代目かな…
あっ、そうだ!
誤解のないように言っとくけど、当時の編集部では、連載作家は2年くらいで担当替えするって事にしてたみたいで、オレの性格に問題があってコロコロ代わってたって訳じゃないのよ。
ただ、こういうサイクルがあるってのは、かなり後になって知ることになるんだけどさ…
で、記憶はかなり薄れちゃってるんだけど、たしかAさんは、新卒で講談社に入社。
その後、1~2年どっかの部署をまわって『週刊モーニング』編集部に配属されたって形だったのかな…?
そんで、一発目がオレの担当って事だったのかもしれない…
このへんは、ほとんど忘れちゃった…
あと、それまでの担当編集者さんって、みなベテランや中堅クラスだったので、オレにとって若手に担当してもらうってのは初めてのことでもあったのね。
多少、心配したけど、頭のレベルは当然オレより何十倍も上なわけだし、仕事は最初からスムーズにいってたような気はする…
30年前の話だから微妙だけど…(笑)
■打ち合わせの実態
でさ、それから関係が5~6年続くんだけど、当時は担当してもらってる期間が長いとか短いとか、あまり気にしたことはなかったのね…
担当替えのサイクルがあるなんて、そもそも知らなかったから…
さてと、そんでね、あの頃はオールアナログの時代。
打ち合わせでも何でも、その都度、編集者が作家の家に行くって形だったの。
オレは隔週連載だったので、2週間に1〜2度やって来て、4~5時間…
もっとかな?
原稿取りと、いろんな おしゃべりして帰って行くって感じだったのかな…
特殊な作品?だったせいか、内容に関しての打ち合わせや相談は、いつもほぼ無し。
通常なら、一番重要かつ不可避の「ネーム チェック」ってのが実質免除になっちゃってたからさ…
(※ネーム=ラフな見本原稿)
要は、作家が好き勝手に本番原稿描いて、出来たら渡すだけって事なんだけど、オレの場合は なぜか連載初期から そんな扱いになっちゃってたんだよね…
なもんだから、おしゃべりの中身は、ほとんどが雑談とオレの愚痴。
当時のオレはお酒が飲めなかったので仕方がないけど、要は飲み屋でするような会話しかしてなかったってこと。
ちなみにAさんは、若いながらも大酒飲み。
本当は、本物の飲み屋でやりたかったんだろうけどさ。

というわけで、Aさんとの関係は、編集者と作家ってより茶飲み友達って方が近かったのかも…
考えてみりゃ、他の編集者さんとも、ほとんどが こんなパターンだったんだけどね…(笑)
■騒動勃発!
でね、そんなAさんが担当替えになる切っ掛けとなったのが 最初に話した「オレが怒鳴っちまった」って出来事から。
Aさんってのは、かなり年下ではあったけど、ズケズケ物言うタイプでもあったのね。
で、その日は珍しく業務上の とある相談になっていたの。
具体的な内容はしゃべれないけど、例えば、こういった感じの流れになっちゃったのかな…
「できませんか?」
「難しいなあ…」

で、そのうち こうなって…
「挑戦しようともせず、ハナからやる気がなくて断ってるだけじゃないんですか!」
みたいなセリフを投げられ、売り言葉に買い言葉
「ふざけんなコノヤロ~!とっとと帰れ!」
ってなったわけ。
こんなオレでも、仕事に関してだけは常に全力、一杯一杯でやってるって自負があったからさ…
あくまでも、オレからするとって話だけどね(笑)
さて、怒鳴った後、オレは即、別室行ってフテ寝…
その後は、Aさんと元同僚でもあった家人がビックリして部屋に飛び込んできて しばらく相手してたみたいだったけど…
でもさ、事態はそれで終わらなかったんだ…
というより、とんでもない方向に動いてっちゃったの…
Aさんときたら、正直者だから編集部戻って即、編集長に報告しちゃったのよ。
「作家、怒らせました」
アホだよね、まったく…
早速、編集長から手紙だったかFAXだったかが届いちゃってさ…
「担当を替える」って文言入りの…
■カクっときたけど…
今度はオレのほうが大あわて。
たしかに怒鳴りはしたけど、Aさんって、オレにとっては すでに、何でも話ができるような大切な存在になってたからね…
なんとか担当替えを撤回してもらおうとしたんだけど、家人の発した一言でオレはあきらめたの。

家人は、Aさんが担当していた期間を改めて振り返り
「こんなに長い期間担当続くってあまり無いよ」
「安定連載だったから、編集長も異動させること、つい忘れてたんじゃない…」
ここで初めて担当替えのサイクルがあるって事を知ったのかな…
寂しかったけど、まあ仕方ないよね。
自分でしでかした事だから…
でもさ、担当から外れた後も、出版社の年末のパーティーだったりとかで年に1回くらい会えたりはしてたのかな…
ただ、年月が経つうちAさんも部署が変わったりとか だんだん機会がなくなっていって、最後に顔合わせたのは、これも最初に話したように今から20年くらい前。
ちなみに その時って、編集部に何か用事があって出向いたんだけど、違う部署に居たAさんが、オレが来るって話を聞いてわざわざ会いに来てくれたんだよね。

■1回、飲んでみたかった…
で、そのあとAさんや お世話になってる編集者何名かと居酒屋さんみたいなとこ行ったのかな…
もちろん、その時のオレも まだお酒は飲めなかったんだけどさ。
だから、その時だったのか、その後、人を介してだったのか正確には覚えてないんだけどAさんが、こう言ってくれたって記憶があるの。
「タナカさんがお酒飲めるようになったら嬉しいなあ…」
「一緒に飲みたいなあ…」
そして、約20年…
今、オレもようやく人様とお酒を楽しめるようになったでしょ。
そういう機会があった時、よくAさんの顔思い浮かべたりすることもあったのよ。
なのにさ…
そのうちAさんに連絡したいなって思ってた矢先だもんなあ…
同僚さんに聞いたところによると、近年は体調が良くなさそうだったみたいなのね。

オレの担当をやってくれていた頃は元気いっぱいだったんだけどさ…
(1度だけでも飲みたかったなあ…)
オレも歳だし
「いつでも、会えらあ…」
って考え方には注意しないといけないのかな。
会いたい人には、積極的に会いに行かなきゃね。
そっか、とうとう会えないままのお別れになっちゃったんだ…
でもさ、これからしばらくはお酒飲む機会があった時は今まで以上に彼の顔思い浮かべるだろうから、それでいいかなとも思ってるけどね
センセェだって、そう遠くない未来にあっち行けるんだから、そこで思いきり飲めるじゃん!

とゆ~わけで、今回はおしまいにします。
「でわ!」
