118話B面『プレゼントのような記憶』

ふう~…
例年通り大盛況となったビッグイベント『西武園記念』も閉幕し、とりあえず9月になりました。
大仕事もおわり、これからは気温も少しずつ落ちついていってくれると思います。
ようやくひと息つけそうです。
おそらく…(笑)

大盛況で終わったと言いながら、こうして あたりちゃんと話してる今って、いつよ?(笑)

8月20日⋯!(笑)

ホントは今、西武園記念にむけ最後の準備の真っ最中!
ひと息つけるのは、まだまだ先です(笑)

とゆ~わけで、今回は西武園記念に関しての話題はナシ!
おゆるしくださいませ(笑)

 

初めての一人暮らし

さ~て、ほんじゃ早速、西武園記念とは関係ない話をツラツラいくかな(笑)

先日、近所のOB、桜井久昭さん(28期)と飲んだのね。
老人同士という事で話題は思い出話も多くなるんだけど

「へえ~、そんな事もあったんだ…」

って、ちょっと楽しそうに聞いてもらえたエピソードがあるので、今回はそれを紹介。

オレが、デビューして1年くらいの頃かな。
1989年、仕事場兼住居を初めて持ち、一人暮らしを始めた時の話。

たしか28歳だったかね…
世間的には、かなり遅いのかもしれないけどデビューに至るまでは何しろお金がなかったもんでさ。

でも、ある程度お金も入るようになったのでようやくってところ。

んでね、借りた物件は3DKのファミリータイプ。
そろそろアシスタントさんをお願いしなきゃ厳しいって状況でもあったんでさ。

なので、一人暮らしと言っても、1年後くらいには4〜5人が寝泊まりする合宿所みたいな状態になっちゃったんだけどね⋯(笑)

大事件の最中

さて、そこに住むことになってまずやる事といったら、ご近所さんへの挨拶…

なんだけど、オレ少々悩んじゃってさ。

実は、ちょうどその頃って、世間を震撼させた ある大事件が起こり、いまだ未解決って時だったの。

詳しくは話したくないけど、連続して幼女が連れ去られ被害にあうといった事件。

しかも、借りた物件ってのが被害が出た地域のひとつ。

なもんで、すぐ近所の小学校は連日制服警官が警備を続け、付近も頻繁にパトカーが巡回しているといった状況⋯

物件の住人は当たり前だけど、ご家族で住まわれている方たちがほとんどでしょ。
幼い子を持つ世帯も多そう⋯

そこに青白い顔した若い?男が突然一人暮らし始めるのよ。
しかもさ、ほぼ毎日、部屋に引きこもるって生活になるわけじゃん。

ご近所さんからすると不気味に感じちゃうよね。

悩みまくった挨拶まわり

というわけで、挨拶の時はこれを言うしかないな⋯
とは思ったの。

「マンガの仕事をやってるもので…」

だけどさ、そうなるとまた、もう1つの悩みが生じるのよ。

マンガ描きやってるって言うと、まあ大抵聞かれるからね。

「なんて(orどんな)作品描いてるんですか?」

って。

だけど、デビュー1年かそこらでしょ。

本当に作家として生きていけるかどうかわからないレベルでマンガ家って名乗るのも若干抵抗あったし、そもそも話したところでオレの名前なんて誰も知らんでしょって思いもあったわけ。

ホレ、怪しい人間の自称ナントカってのも よくあるじゃん。

あとさ、競輪のマンガを描いてるって言えるのかっつうのも問題だったの。

今の時代なら、どうってことないけど、当時、競輪ったら差別と偏見をまだ当たり前に食らってた頃だからね。

特に初対面の相手とかにはマイナスイメージが大きかったと思うのよ。

以前、ここで話したこともあるけど、オレ、自分の身内にだって競輪やってる事、デビュー後も含め10年以上隠しつづけてたし、描いてるマンガの事だってタレコミ入ってバレるまでガンとして口割らなかったくらいなんだから。

とにかく、あの事件の発生中に、競輪に絡んでいるオレでしょ。

おかげで過剰に気をまわす事態になっちゃってたの…

出てきたお隣さんは⋯

さて、話を先に進めるね。

ちなみにオレが入居したのは角部屋だったので、挨拶は片側のお隣さん2~3件で済むわけだったんだけど一番重要、かつ問題は直お隣さん。

「どういう風に挨拶したらいいのかな…」

まあ、いいや!
とりあえず出たとこ勝負でお隣のベルをピンポ〜ン⋯!

ガチャリ⋯

さあ、扉があいたよ⋯

(うっひゃ~!?)

なんと、出てこられたのは3~4歳くらいの女の子と赤ちゃんがいる、オレより少し上くらいかな⋯?
の奥さん!

繰り返すけど、あの事件の真っ最中よ⋯
あせった、あせった⋯!

同時にさ

(競輪のけの字も絶対言えねえ…)

瞬間、そう思ったね。

さらに、それを隠すためには雑誌名も絶対明かすわけにはいかないって⋯

講談社の『モーニング』って雑誌で描いてますって言えれば、相手さんに安心感与えることも出来るだろうけど、それで『ギャンブルレーサー』描いてるって知られると、どんな風に思われるかって、やっぱ不安になっちゃうもん。

なので、言葉選びながらこんな感じで話したのかな…

「実は、最近マンガの仕事を少しずついただけるようになってきた者です」
「なので、毎日部屋にこもりきりで生活サイクルはメチャクチャ」
「夜間に人の出入りがあったりなどご迷惑おかけすると思いますが、よろしくお願いします」

例えて言うなら、何かの浪人、修行、勉強中の身みたいな雰囲気を醸し出す感じで…(笑)

ビックリの連発!

さあ、というわけで、何とか挨拶を終えたんだけど、その後、何が起こったと思う?

2~3日経ったあたりくらいからだったかな…?

なんと、その隣の奥さんが、ちょくちょく手作りの惣菜とかご飯とか、お嬢ちゃんと一緒に持ってきてくれるようになったの。

「1人でがんばってて、食事とか大変でしょ」

って。

まさに、想定外!

でも、ビックリとともに感動しちゃってさ…

しかも、食べ物を乗せた食器類がまたさらに感動的だったのよ。

アンパンマンとかの絵柄が入ったトレーだったりお皿だったり…(笑)

お嬢ちゃんはお嬢ちゃんで、

「おにいちゃん、がんばってね」

って、たどたどしい言葉で、お絵描きした絵をプレゼントしてくれたりとかさ…

この時だけは、あのマンガを描いている自分を呪ったね…(笑)

せっかく親しくなれたのに⋯

で、さらには、こんな事まであったんだ。

「夕食食べにいらっしゃい」

ある時、こんな言葉をかけられたの…

まったまた、ビックリ!

恐縮したけど、早速お隣さん訪問して、旦那さんも交えて5人で食事しちゃった…

と、まあ、こんな感じの話なんだけど、初めての一人暮らしでこんな事が起こるなんて、本当に天からのプレゼントだよね。

ちなみに、オレが『ギャンブルレーサー』描いてるってことは、引っ越し後しばらくして、おそらく旦那さん経由でバレちゃってたみたい。

そりゃまあ、そうなるよね。

ペンネームでなく本名でやってんだし⋯

ただ、作品に関して話題になった記憶は、ほぼ無し。

それもまあ、そうなるだろうね⋯

「バカ!」だの「アホ!」だの飛び交うマンガのことなんて、お互い話題にしづらいでしょ(笑)

きっと、かなり気を使って下さってたんだろうな…

いや~、本当に懐かしい思い出!

さて、そのお隣さんとのその後ね。

もう、かなり記憶が薄れちゃってるんだけど、半年後くらいだったのかな?
マイホーム取得されて引っ越されていったんだよね。

せっかく素敵なご一家と隣同士になれたのに、わずかな期間でお別れになっちゃった…

今の時代だったら⋯

あれからもう何年経つんだろう…

(ひえ~っ!)
(36年っっ…!)

ってことは、あのお嬢ちゃんや赤ちゃんも、もうそういう年齢になってるのか…

みなさん、お元気で幸せに暮らして下さってるといいなあ…

「おかげさまで、オレもなんとか生きておりますよ~!」

「あの時の記憶は、オレにとって本当に一生忘れられないプレゼントになってますからね〜!」

 

へえ~、センセェにそんなキュートなエピソードがあったんだ!

それにしても、そのおくさま、よくセンセェに警戒心いだかなかったもんだね…(笑)

いや、本当!
今の時代だったら、おそらく危険な行為って判断されかねないかも

幸い、オレがあそこに引っ越してから、割と早い期間で件の事件の犯人が捕まったってのも大きかったのかな…?

まっ、そういう話は抜きにしても、あの時はこっちも本当に幸せであたたかい気持ちにさせていただいたなあ…

感動物語を描くような作家だったら どんなに良かったろうって、今もつい思っちゃったりするもん(笑)
もちろん、あの期間に限ってのことだけどさ(笑)

センセェの顔と感動って言葉は、やっぱりむすびつきにくいもんね(笑)!

悲しいけど自分でも、そう思う(笑)

「わたしは、『競輪!』のおしごとをさせていただいている八多あたりともうします!」
「よろしくおねがいいたします!」
こんなふ~に、あたりまえにいえる今ってホントしあわせですね。
「でわ!」

 

A面マンガにもどる

SR83話B面『アッツイ!予想屋』

本日のざれごと

さて、A面でもふれましたように『西武園75周年記念』が開幕します。
とゆ~わけで、今度は こっちのほ~のセンセェ!
暑さや睡眠不足でへばってない?
4日間くらい、ちゃんと生きててよ!

 

 

やれやれ、あたりちゃんは元気だね~…
へばってないわけないじゃん…
まもなく9月だっていうのに、本当にアッチ~もんなあ~…

ん!?
「アッチ~…」……

あ~っ!
そういや大昔、こんな方がいらしたの思い出した!

この「アッチ~」ってフレーズに「西武園」を組み合わせると、頭に浮かんでくる人物がいるのよ…!

なに、それ…?
またまた、わけわかんないことを…

ハッハッハッ
まあ、あたりちゃん世代の人は知らないだろうけど、アラ還くらいから上の世代で、大昔の西武園に良く出入りしてた人ならピンと来る人はいるかも

「アッチ~…」と「西武園…」
そんで「アラ還以上…」
???

つねに「アッツイなあ~…!」

アッハッハッ!
いや、オレが競輪を始めた40年くらい前にね、「アッチ~なあ~!」とか「アッツイなあ~!」が口癖の予想屋さんが西武園にいたの。

500走路時代なんで、今とはホームとバックが逆なんだけど、昔の1センター、現在の2センター側のスタンド外側の下で商売なさってたのね。

ちなみに当時は、その旧1C側のスタンド外が売店や食堂が多く賑やかだったので、予想屋さんもそのあたりに結構集まってたんだ。

さらに、付け加えとくと当時はネットも電話投票もない時代。
車券はもちろん、競輪も現場に来ないと観れなかったわけだから、開催日は常に超満員。
普通開催でも、お客でビッシリ。

なもんだから、どこの場でも予想屋さんの数はかなり多かったって記憶があるね。

さて、んで、その「アッチ~なあ~!」の予想屋さんなんだけど、得意なフレーズは、あとこういうの…

「ひ~、またウラだ~!」※裏目で決まった

「またヌケた~!」※抜け目で決まった

「今の埋め合わせはするよ!」

「ヤケクソでいいから乗っかれや~!」

「このレース、オレも買ってるから、100円出したら車券見せてやる!」

「おりゃ~、オレも有り金勝負だからよ~!」

あとは「ひ~!」だの「あ~!」だのの悲鳴を各レース、ゴールの度に発せられてたのかな…(笑)

んで、ごくごくたま~に奇跡が起きて的中となると

「おら、ど~だ~!オレは天才だろ~!」

ここまで聞いたら、もうおわかりでしょうけど、そういうレベルの予想屋さんだったわけ(笑)

お世話になりました

でも、オレは好きだったよ。

「ひ~、アッチ~な~!またウラ食った~!」
「今の埋め合わせはすっから乗っかれや~!」
「ヤケクソでいいからさ~!」

レースが終わる度に上がるこの雄叫びを聞くのが面白くて、西武園に来たときは必ずこの予想屋さんを見物に行ってたな…

というより、この方の悲鳴を聞かないと西武園に来てるって感じがしなかったかも(笑)

もちろん、この方の予想を買ったことは1度もないし、能書きもほぼ中身無しだったと思うんだけど、それでもある意味役には立ったんだよね。

一応、レース予想らしきものを聞いていると、この方がどのへんを狙っているのかが何となく想像できちゃったりする事もあるじゃん。

そしたらさ、その線を外して車券を買えばいいわけ。

例えば迷ったりした時や、買い目が増えて絞りたい時は、この方の狙ってそうなやつを切るといった形で利用させて頂いたのかな(笑)

けっこう有名だったみたい

あっ、そうそう!
そういや、ある日、こんな事もあったっけ。

その予想屋さんから、やっぱりちょい離れたところにオレは予想紙見ながら立ってたのね。
その予想屋さんの雄叫びや悲鳴は、多少離れていても聞こえてくるんで。

んでね、たまたまオレの近くをネクタイ姿の二人連れが通りかかったのよ。
(当時は、仕事抜け出して来てる風の人なんて珍しくも何ともなし)

何となく会話が聞こえてきたんだけど、どうやら競輪好きの人間が初心者と思しき同僚連れてやってきたって感じだったのかな。

んで、色々教えている最中に例の予想屋さんの雄叫び(レース前なので悲鳴でない方)が上がったの。

そしたら、それ耳にした初心者さんが

「へ~、あ~いうのが予想屋ってやつか~!」

感激した面持ち?で予想屋さんの方に歩き出した瞬間、すかさず同僚さんが一言…

「あ~、ダメダメ!あいつは嘘つきで有名だから!」

も〜、心の中で大爆笑!

なるほど、やっぱあの予想屋さんはそれなりに有名で人気者なんだと実感できた瞬間でもあったかな。

たしかに周辺のお客達は、いつも小馬鹿にしたようにニヤニヤしながらその方を眺めてたし…

というわけでさ、ゆえに「アッツイなあ」と「西武園」で、その予想屋さんの事を思い出しちゃうって話(笑)

70代くらいで昔から西武園を利用していたってお客さんがいたら覚えてる人もいらっしゃるかもね。

興味のある人がいたら、お年寄りに試しに こう聞いてみたら…

「500バンク時代の西武園、1C外にいたという『ウソツキ予想屋』って知ってます?」

⋯って!

 

アッハッハッ、めちゃくちゃおもしろそ~!
あたしも、そういう予想屋さん見てみたかったな~!

オレも西武園に来るたび楽しみにしてたもん

その予想屋さんって、いつぐらいまでお仕事なさってたの?

わかんない!
マンガ家としてデビューしてからは、ほとんど現場行けなくなっちゃったから…

あと、オレが20代だった頃の話だからね
それに、当時の予想屋さんでしょ
年齢的には、かなり上だったし、そういえば20~30年前?、すでに召された的な噂を耳にしたことはあったけど…
実際はわかんない

でもさ、お客さまがいっぱい来て、予想屋さんもいっぱいいた時代の競輪場ってたのしそう!
あたしが、つれてってもらいはじめた幼稚園だか小学校低学年だったころは、まだそれなりに にぎわってたけど、センセェたち世代ほどではなかったろうからさ…

ちなみに、オレが行ってた頃の競輪場には女性客の姿は皆無
まあ、あの中に入って行くのは相当無理があるだろうなってくらいの雰囲気だったから、もしタイムスリップができたとしても、あたりちゃん入って行く勇気でるかなあ…(笑)

だいじょうぶ、だいじょうぶ!
あたしは関センセェの姿を日々みてるからさ

ひと月くらい風呂キャンして、ボロンボロンの格好で、大根はいった袋かかえて入場するから!

それでも、あの時代なら、きっと近づいて来る人はいるんじゃないかなあ…?
「ねえちゃん、ねえちゃん!もし金が無えなら、いい仕事紹介するよ!」
な~んて風に…(笑)

そんなの、今だって毎日だよ!
関センセェが
「あたり~、い~狙い目があんだけどよ~、グへへへへ~」
って!

あ~、なるほど!(笑)

 

 

 

はい!
さ~、じゃ、みなさま!
あたしは、ある程度~までなら近づいてくるかたも大歓迎!
西武園記念でおあいしましょ~!
「でわ!」