64話B面『1988年西武園記念』

さて、しんあいなるみなさま。
A面でも少しふれたようにまもなく『せ~ぶえん記念』がはじまります(╹◡╹)♡
と、ゆ~わけで今回は、『せ~ぶえん記念』にまつわるお話をタナカセンセェになんか語っていただこうとおもいます。

ハイ!
それでは、ど~ぞ~
パチパチパチ~♫♪♫

以前、20歳くらい年下の知人にこんなこと言われたことがあったんだ。

「センセェ、オレたちゃ昔の選手のことなんて知らないし興味だってそんなにないからさ…」

要はブログにOB世代を取り上げるより現役世代をってことなんだろうね。

なるほど、そりゃたしかにそうかもね。
けどさ、それがなかなか難しいのよ。

オレからすっと現役世代の選手っちゅうのは、ほとんど子供みてえな年齢ばっかでイマイチ燃えんのよ。
つい親のような目線で見ちゃうから。

なもんで、うんと感情移入できるのはやっぱり20~30年前の競輪や選手たちの方なの。

自身と同世代の人たちの闘いだもん。
も~、夢中で観てたしね!
毎日のように飽きずに通ってさ…

オレのヒーローは

話はそちょっと逸れるけど、先日、1970年代後期の音楽ユニット『アラベスク』のCD買ったの。
なぜかふと思い出して、急に聴きたくなって…

で、早速聴いてみると、いやも~懐かしくって懐かしくって気分はウキウキ!

今、ほとんど毎日聴いちゃってるかな。

考えてみりゃ普段も80年代の音楽ばっか聴いてっからね。
アイドルだって、オレには松田聖子ちゃんがナンバーワンだし!

んな訳だから競輪選手も、脇本雄太(94期・福井)や松浦悠士(98期・広島)、平原康多(87期・埼玉)じゃなくて、中野浩一(35期・OB)、井上茂徳(41期・OB)、滝沢正光(43期・OB)なの!
あと、少し若い世代でも、神山雄一郎(61期・栃木)、吉岡稔真(65期・OB)、山田裕仁(61期・OB)…

オレにとってのヒーローは永遠にこのまんま…

現役世代の選手たちのことは現役世代の方達にお任せして、これからもオイラは年寄り色満々でこのブログ作っていきたいなって思ってんのでゆるしてね。

33年前の西武園記念

さて、西武園記念直前ってことと、今の話のついでがてら参考までに『ギャンブルレーサー 』が世に登場した1988年の西武園記念について語るね。
オレの青年時代は、このような人たちがスター選手だったんだ。

まずは決勝戦のメンバーとレース結果。

【西武園開設38周年記念(昭和63年4月)】

前節優勝戦(先固2500米)

❶①鈴木 誠(千葉)55期 23歳 ❷①❶
❷②尾崎雅彦(東京)39期 30歳 ❺②❸
❸③中野浩一(福岡)35期 32歳 ❶①❷
❹④松本聖志(岐阜)53期 24歳 ❾③❾
❹⑤佐古雅俊(広島)45期 27歳 ❸①❻
❺⑥緒方浩一(熊本)30期 35歳 ②②❼
❺⑦坂本 勉(青森)57期 25歳 ❽③❽
❻⑧藤巻 昇(北海)22期 39歳 ③③❹
❻⑨伊藤豊明(愛媛)41期 29歳 ❼②❺

【レース展開】

鈴木-S尾崎、坂本-藤巻、中野-緒方、松本-伊藤-佐古の並び。
赤板で上昇した松本が打鐘4角からスパート。
鈴木-尾崎が2角で捲りきり、BS過ぎにダッシュした坂本は佐古に張られてストップ。
その間、中野がインから前段抜け出し鈴木-尾崎を追う。
粘った鈴木がそのまま1着、番手の尾崎は直線伸びず猛追中野がタイヤ差2着。

後節優勝戦(先固2500米)

❶①南雲孝之(東京)54期 23歳 ❽②❺
❷②井上茂徳(佐賀)41期 30歳 ❶①❶
❸③高下堅至(静岡)41期 29歳 ❻③❸
❹④山田英伸(神奈)51期 24歳 ⑤②❽
❹⑤内田浩司(福岡)51期 25歳 ❷②❷
❺⑥青柳 禎(埼玉)52期 25歳 ②③❻
❺⑦馬場圭一(香川)45期 27歳 ②①❹
❻⑧豊田知之(岡山)59期 20歳 ④③❼
❻⑨竹内久人(岐阜)37期 32歳 ❼①❾

【レース展開】

南雲-S青柳、竹内-山田、内田-井上-高下、豊田-馬場の並び。
3周目、豊田-馬場で前段おさえて並走。続いた内田が打鐘前から上昇して主導権。
以下、井上-高下、豊田-馬場、南雲-青柳、竹内-山田で一本棒。
マイペースで逃げる内田を井上が直線楽々交わして1着。

※「S」は、スタートで先頭取ったという意味

【参照➖当時の『月刊競輪』】

前節は取れたけど…

いやも〜『アラベスク』同様泣けちゃうね~!!!
前節の優勝が鈴木誠さん(55期・OB)、後節が井上茂徳さん。

連載スタートのチョイ前くらいの時だったんで、前節、後節両方ちゃんと行ってたよ。
(翌年以降は忙しくて多分10数年間くらいは現地にほぼ行けてなかったと思うけど)

でさ、この時のオレにはこんなエピソードがあるんだ。

実は、前年、例年以上に貧乏神に取り憑かれちゃってたオレは車券の方も絶不調。
行けども行けどもオケラで本当に金が無くなっちまって、その下半期からこの年の西武園記念まで車券はほとんど買えずって状況が結構続いてたのよ。
けど、不思議なもんで漫画が採用されてお金をいただけるようになったら、車券購入再開となった前節であっさり取れちゃってさ。
金の無いときゃ、どんなに必死で頑張っても外れ続けたのに…

やっぱ賭け事ってのは精神的…
ってより懐に余裕があるか否かってのはでかいのかもしんないね。

さて、決勝レースはいくらつけてたかもう忘れちゃったけど、結構つけたような気もするし、鈴木-中野の車券、取れて本当に嬉しかったな。
(後で調べたら ❶❸  1,630円⑥番人気でした)

ほんでもってさ、後節は結局外れたんだけどとても印象深いレースが観れたんだ。

簡単に言うと、初日から三日間、井上-内田の車券で決まったの。
ちょっと想像してみてくれる。
当時、500走路だった西武園で三日間ワンツーよ。
1、2着入れ替わることなく…
しかも、今と違って軽いギアの時代。
先行屋が粘るのって、すごく大変な事でもあった頃。

オレと関優勝の永遠の天敵

もちろん内田さんの調子が良かったってのはあるだろうけど、やっぱ井上さんだよね。
こう言っちゃなんだけど、当時…
というかそのあとも永遠にだけど、内田さんは井上さんの格下って存在で、競走では井上さんが前で駆ける内田さんをいかに残してあげるかっていう感じの関係性だったわけ。
(内田さんゴメン)

『ド本命』の先行選手を交わし続けるのも大変だけど、それ以上に『残してやらなきゃ』ってレベルの先行選手を連日残し続けるのって神業に近いものがあると思うんだよね。

オレ、決勝レースは井上さんから抜け目で買ってたの。
もし、前二日間でワンツーが続いてなきゃ内田さんの2着も買えたろうけど、いくらなんでも三日連続はねえだろうって思ってさ。
(ちなみに ❷❹、1番人気で230円)

まっ、そんな感じなんでオレがどんなにツキが回ってきたような状況の時でも井上さんって人は、やっぱりオレの邪魔をすんだよね。
しつこいくらいに…

蛇足だけど、井上さんの引退レースとなった1999年春の静岡ダービーなんて連日頭で買ったけど全部沈んでくれたかんね…
最後の最後までそういう御人(笑)。

とにかく人生思い通りにはいかないってことをオレに教えてくれた大恩人の一人かな。

ちなみにさ、現役世代の松浦悠士選手の上手でしぶとい競走ぶり見てると、ふと井上さんのこと思い出したりすることがあるんだけど、でもやっぱ全然違うんだよなあ…

松浦選手に対して恨みつらみ、憎しみの感情なんて一度たりとも湧いたことないもん。

あたしもおばあちゃんになったら、今の時代の選手のことばかり語るようになっちゃうのかな(笑)

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