
あ~、きょ~もアツいですね~!
こんなアホみたいな日に、太田龍希せんしゅ(117期・埼玉)のオト~さまが練習をなさってました。
ものずきだなあ~と思いつつ、休憩中に直撃してまいりました!
●埼玉躍進の功労者
埼玉は、小池和博さん(30期・OB)、新井正昭さん(31期・OB)の時代の後、タイトル戦線では しばらく大人しかったけど、一気に活気づけたのが太田の登場だったよな。
宮杯で特別初V決めたその年、GPで初出場V。
しかも逃げ切り勝ち…!
埼玉の選手達に与えた影響はでかかったと思うぜ。
タイトルなんて よその世界の話みてえになってたところに、いきなり身近で手にするやつが出現したんだ。
そりゃも~、勇気も元気も増したろうさ。
タイトルが非現実的なものから現実的なものにガラリと変わったんだから。
それが、また平原康多(87期・OB)って超大物の誕生に繋がっていったとオレは思うんだ。
でも太田は見事な出世ぶりだったよ。
中学だか高校の頃から、もう業界で名前広がってたもんな。
「埼玉に、スゲ~子がいる!」
って。
鳴り物入りで競輪学校入って、新人王…
23~24歳でタイトル取って、GP取って…
なんか、神山雄一郎(61期・OB)に近いもんもあるよな…
その後は別として…(笑)
さて、歳を重ねた今は今で、まもなく50歳。
鉄人の領域入りだ。
前回の神田同様、1分1秒でも長い現役生活を勤め上げて欲しいな。
そしたら、人生でも逃げ切り勝ちだろ、ハッハッハッ!
●現在も元気一杯
太田真一さんは、皆さんご存知だと思いますが、平成11年の高松宮記念杯競輪と平成15年の寛仁親王牌優勝、そしてなんと言っても平成11年競輪グランプリ覇者です。
グランプリでの先行逃げ切りは圧巻でしたね。
レースを見てて鳥肌が立ちました。
最近では、息子の龍希(117期)もデビューしてさらに気持ちも入っていると思います。
後進の指導にも積極的で、川越工業高校自転車部の外部コーチをしながら、休日には競輪場で高校生やアマチュアの指導を行っていて、とても忙しい日々を送っていらっしゃると思います。
そんな日々の中、自身のレースもあって、中々成績も波がある状況ですが、往年の足を磨いてまだまだ頑張っていただきたいですね。
●目標とした偉大な先輩
副支部長が競輪での栄光について既に記述してくれておりますが、太田さんは自転車競技においても1999年にはワールドカップにて日本人としてケイリン種目初優勝、そして翌2000年のシドニーオリンピックに出場するなど国内外で活躍した素晴らしい選手です。
今はKEIRIN.jpのプロフィール欄から無くなってしまいましたが、目標とする選手という欄に私は『太田真一』と書かせて頂いていたほど憧れていました。
高校生を指導する立場になるにあたり日本スポーツ協会の『公認コーチ』という資格を取得されていますが、私も同じタイミングで受講させてもらいました。
実技の試験が合宿形式であったのですが最終日に行われる試験前も同部屋の私や他の受講者は焦って勉強しているにも関わらず太田さんはとても余裕を持っていて私たちを茶化していた事が印象的です。
ひとまず一緒に受講したメンバーは皆んな合格したので良かったです笑。
●最初は言葉も交わせず…
他に私のエピソードとして是非ご紹介したい事があります。
私のデビューした頃の太田さんは凄く怖い印象があり、初めてお会いした頃などあまり話をしてもらえなかったのですが、私の師匠の越川一寿さんが太田さんと同級生でアマチュアの頃から仲が良かったという縁もあり、それを知った太田さんに次お会いした時には
『コッシーの弟子ってお前か!笑』
という感じでとてもフランクに話をしてもらえるようになりました。
憧れの太田さんと打ち解ける事が出来て、越川さんの弟子で良かったと感謝した記憶があります。