SR95話B面『早や~っっっ!連載終了20年…』

本日のざれごと

さあ、いよいよキョ~フの8月が近づいてまいりました。
気温の高~騰と物価の高~騰に、どこまで正気をたもっていられるか試練の夏です…

センセェ~、だいじょうぶ~?
まだ生きてる~?

生きてる、生きてる!
今んとこは…(笑)

まあでもさ、ここ何年か、毎年毎年色々あるよねえ…

ところで、ちょっと話は変わるけど、あたりちゃん20年前って何してた?

な、なに突然…?
う~ん…
た、たぶんまだ生まれたばかり…

20歳前後でしょ?(笑)
今、カレンダーの2026って数字眺めててハッと気づいたことがあったのよ

実はさ、『ギャンブルレーサー』の連載終わったのって2006年なんだよね
だから、ちょうど20年前…

へえ~、そ~なんだ…!?
けっこ~年月たってんのねえ~
いちお~メモリアルイヤ~になるのか…

終わってから20年って本当ビックリ
そんだけ古い作品になっちゃったってことなんだね…

でもさ、今でも読んでくださるキトクな方々が、ごくわずかながらもいらっしゃるんでしょ?
よかったねえ、センセェ!

本当に感謝!
ただ、今とはもう競走も選手も場内のお客さんも、ほぼ全てが変わっちゃったからね…
古典?として読んでもらうしかないのかな…(笑)

ストーリー、作画作業の前に必ずコレ…

というわけで、今回は『ギャンブルレーサー』の話を少々。

前に、ここでしゃべったことがあるのかどうかぜんぜん覚えてないので、もしかぶっていたらごめんね。

さて、前回もチラッとしゃべったけど、作るのには本当に時間がかかる作品だったのよ。

当時の自分にゴクロ~さんって言いたくなるくらい…(笑)

まず、リアルタイム同時進行って形を取っていたからね。

しかも、実際の斡旋表(開催全出場選手)に忠実に合わせて。

でね、正式な斡旋表に基づき描くってことは、つまり、それが無きゃ競走にかかわる部分のストーリーは作れないってこと。

なもんで、いつも日本自転車振興会(現JKA)にお願いして、斡旋が決定すると複数場分の斡旋選手一覧表を即日FAXで送っていただいていたの。

なぜ即日かっちゅ~と、それでようやくフルのマンガ作りに入れるんで、創作時間確保のためとにかく早く入手する必要があったわけ。

さあそれが手に入ると、まずはマンガに取り上げる開催を決定。

お次は、参加全選手(通常開催は、ほぼ90名)、直近までの競走得点調べ。
(今みたいに最新得点情報が簡単に入手できるもんではなかったのよ)

それから、それを元にマンガのキャラクターを混じえた初日の出走割(番組)作って、各レース、1~9着の得点を電卓はじいて出していくの。

(当時の得点制度って、今と違い、G1等を除き全ての開催、全てのレースをいちいち計算して出すって方式。
だけど、これって『ギャンブルレーサー』作るうえで、毎回毎回必須の作業だったから、本当に大変だったし面倒くさかったのよねえ…)

そんで、ストーリー考えつつ初日各レースの結果を出して、それを元に2日目~最終日までの出走割と各レースの得点をまたまた電卓はじいて計算。
(※当時の競走得点システムと計算方は、たぶんマンガのどっかの巻に入っていると思うので、ここでの説明は省略)

ここまでが、まずは基本的な作業。

地獄の作業

ところでさ、各開催の得点出しや初日の出走割ってのは、言うなりゃ舞台作りのための事務的作業。
役者作りのための事務的作業ってのも必須で待ってるわけ。

それは、関を筆頭に架空の選手キャラクター、最終的に7名の、それぞれの正確な競走成績作り。
1走たりとも漏れのない競走結果、および得点計算と賞金額調べ、そして、その集計。

マンガに描く競走はもちろんだけど、圧倒的に多い描かない開催の方も全て斡旋表送ってもらって、競走と結果想定して成績表作ってたのよ。

年間の全競走成績、完ぺきに。

繰り返すけど、7名分も…
(関を除いて、他のキャラクター達はデビュー戦からの全競走成績)

なぜ、ここまでやってたかっちゅ~と、これって、実在の選手達とリアルに競走させるためには絶対的に必要な作業だったのよ。

同時に、その後のストーリーに繋げていく上でも…

実在の選手達と同様の成績表を作っておけば、例え架空のキャラクターでも実在の選手達とちゃんと理詰めの競輪が出来るでしょ。
お客さん(読者)も、ちゃんと展開予想しながら読めるわけじゃん。

簡単な話だけど、競輪の展開予想がなぜ出来るかっちゅうと競走成績があるから。

例えば新人選手だけでのデビュー第1戦、もし養成所時代の成績や脚力データみたいなもの一切見られなかったら予想なんて絶対無理。
逆に言えば、それさえあれば出走表に選手名なんて無くたって予想は可能って事だよね。

もちろん、それは描く側も同じ。
成績表があるからその時々の競走展開をイメージできんの。

例えば、

(この得点状況だと、この位置はまわれないな…)
とか、

(競られるな…)
みたいにさ…

ある意味、『ギャンブルレーサー』の競走的部分って、こういった成績表作りが全てだったってことになるのかな…

ノンフィクション?ドキュメンタリー?

最後になるけど、改めて当時は本当に大変だったって思うね。

またまた繰り返すけど、通信はFAX。
計算は電卓って時代。

全国の選手の走りっぷりや成績を調べたくっても今みたいにネットが有るわけじゃないしさ。

だから、『月刊競輪』誌でS1~B2まで全選手の成績一覧表を日課のように眺めてたっけかな…

あと、テレビ中継(UHF局のローカル中継が特に重要)、業界紙・誌、スポーツ紙、必ずお持ち帰りした予想紙とかが情報の全て…

ひょっとしたら、マンガのストーリーを作る、描くって事より、こういった作業の方が大変だったかも。

あのマンガ以降、いくつか新作作ったけど、ここまで大変なものは無かったもん。

でもさ、今つくづく思うのよね。

(あの形でやって良かった!)

って。

一時期の競輪を、全体を俯瞰した形で眺められるものになり得てるでしょ?

今は過去の画像や映像が簡単に得られる時代だけど、どうしてもほとんどが個別の情報になりがちだからね…

というわけで、現在、電子書籍等で読んで下さっているお若い読者の皆様!
そ~ゆ~作品ですので、あまりバカにしないでお読みになって下さいましね(笑)

だれもバカにはしてないんじゃない?
あきれてるだけで…(笑)

アッハッハッ
ついつい自虐的というか卑屈になっちゃうのよ

公営競技もお客も、まだ差別されていた頃の作品でしょ
胸張って、アレ描いてましたって言えるようになったの ここ数年のことだもん(笑)

でもさあ、今の時代、かえって貴重なんじゃない?

たとえば、あ~ゆ~人種ばかりが、大宮や西武園にもウジャウジャいたなんて、公式にはぜったい発表できないんだからさ(笑)
あたしくらいの世代の人間にも、にわかにはしんじられない描写もあるし…(笑)

競輪場の雰囲気やお客の生態だけは、かなりのノンフィクションって事だけは今の時代の方々に改めてお伝えしときたいね(笑)

 

センセェががんばって描いた1980~90年代の競輪界のかんさつ日記、社会にどれだけ役にたったのでしょうね?
う〜ん……………………………………
「でわ!」

 

 

 

【追記】
7月19日、伏見俊昭選手(75期)が競走中の事故により逝去されました。
謹んでお悔やみ申し上げます。
(ギャンブルレーサー.com)


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127話B面『夏にウキウキしてた頃』

ことしもなんとか夏休みのシーズンがやってまいりました。
子どもでなくとも、やっぱりウキウキ感ってありますよね。
い~思い出つくりたいなあ…

65回目の夏をむかえるタナカセンセェ、ことしの予定~は?

例年通り、まったく無し(笑)

そ~いえば、夏本番が近づいて来た時のウキウキ感ってのも、今はほぼ無くなったかも…

50代に入るくらいまでは予定が有る無しにかかわらず、そういう気分は多少芽生えてたんだけどねえ…

ふ~ん…
まあ、おじいさんだからね(笑)

ほんじゃさ、夏休みの思い出とかって、どんなのがあるの?
50代に入るころまでは、いちお~ウキウキがあったんでしょ?

あるにはあったけど、それほど御大層なものではなかったのよ(笑)

引きこもり全盛期

先にちょっと話しておくと、オレの場合、マンガ家デビューしてから40代前半くらいまで、夏に限らず決まった休みの日って取ったことないのよ。

忙しかったし、休みを取る勇気も精神的余裕も無かったからね。

例えばネタ等が思い浮かばず、1日何も出来なかったって日が結果的に休みの日だったってみたいな感じかな。

んで、デビュー前はデビュー前で、お金と、これまた精神的余裕が無いってパターン…

でもね、そんな生活を繰り返していたある年の夏、予定を組んで休む勇気が生まれる出来事があったの。

20数年前かな…?

身内の結婚式があったんだけど、下の子供がまだ小さかったんで泊まりで参加しなきゃならない事になったの。

ちなみに、それまでのオレって、結婚して10年くらい経ってたけど家族で外泊って経験1度もなし。
(注 オレだけ常に不参加だったってこと)

その頃って、仕事は全てアナログの時代。
仕事場から外へ出たら、ほとんど何も出来ないのよ。

だから、たとえ1泊でも超恐怖心があったのね。

なので恐る恐るだったんだけど、フタを開けたら結局それほどの支障はなくってさ。

事前にきっちり計算しておけば、1日や2日どうにでもなるって事もわかったの。

逆に、いい気分転換が出来て良かったっなって気持ちの方が芽生えてきてね。
同時に、楽しくて良いもんだと強く思えるようにもなっちゃってさ(笑)

楽しかった夏

なので、翌年からは子供が大きくなるまで毎年家族旅行的なものに参加する事になったわけ。

で、面白いことにそれがさらに発展して、近所でだけど、夏はちょいちょい子供達とザリガニや虫採りに行くようになってね。

当時は、同世代の地元の選手なんかと電話でこういう話もよくしてたよ。

「よお、どこそこに遠征行くと、どんなクワガタがいる~?」
「今度、捕まえてきてよ!」

ちなみに、オレん家の近所(西武園地区)はカブトムシはウジャウジャいるけど、クワガタムシはなぜか少なかったのね。

そういった話で盛り上がっていたのも本当に懐かしいね。

40代なかばの数年間だけど、夏場はウキウキ感ワクワク感はそんな感じでたしかにあったのかな。

けどさ、子どもが大きくなればそういうのとは無縁になっていくじゃん。

ゆえに、50代に入る頃には無我の境地(笑)

 

選手とムシのはなしか…
なんか、かわいいね(笑)

まだ子供がいない時だったけど、オレ、水槽で水草や近所で採れた魚やエビ、カニ飼ってたことがあんのね
選手って、そういうのが好きな人も多いから、そっち系の話もよくしてたなあ…

考えてみりゃ競輪選手と競輪の話をするって、それほど無かったかも…
「次の開催、頭で買うから頼むね」
って言ったところで、近所にそれを期待できるような選手なんていなかったからさ(笑)

そもそも、そ~ゆ~はなしはダメでしょ~(笑)…

ハッハッハッ
これ前に話したことあったかどうかわかんないけど、連載やってた頃って地元のごくわずかな選手を除いて選手との交流はほぼなかったのね
だから、実際にはそんなこと考えたこともなかったな(笑)

あと、作品は基本的に自身の勉強と想像で描く、言うなりゃ夏休み自由研究って感じのもんだったからさ…
だから、選手に取材ってのも1度もしたことないよ

それにしても、妄想~だけで描くってのもたいしたもんだね

ネットってものがそもそも無かったし、それが普通だったんじゃない?
あと、自分でいろいろ考えたり調べたりってのが楽しいわけじゃん

ただ、調べごと1つにしても、ササッと検索したりAIにお世話になれない分、時間はえらくかかるからね
そういうのもあって、ゆえに、最初に話したように40代前半くらいまで休みを取るのが怖かったし取れなかったってわけ

 

ハイ!
とゆ~わけで、夏の思い出ばなしでした。
最後に内容がちょっとそれてしまいましたが、今回は以上で〜す。
「でわ!」

 

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