SR83話B面『アッツイ!予想屋』

本日のざれごと

さて、A面でもふれましたように『西武園75周年記念』が開幕します。
とゆ~わけで、今度は こっちのほ~のセンセェ!
暑さや睡眠不足でへばってない?
4日間くらい、ちゃんと生きててよ!

 

 

やれやれ、あたりちゃんは元気だね~…
へばってないわけないじゃん…
まもなく9月だっていうのに、本当にアッチ~もんなあ~…

ん!?
「アッチ~…」……

あ~っ!
そういや大昔、こんな方がいらしたの思い出した!

この「アッチ~」ってフレーズに「西武園」を組み合わせると、頭に浮かんでくる人物がいるのよ…!

なに、それ…?
またまた、わけわかんないことを…

ハッハッハッ
まあ、あたりちゃん世代の人は知らないだろうけど、アラ還くらいから上の世代で、大昔の西武園に良く出入りしてた人ならピンと来る人はいるかも

「アッチ~…」と「西武園…」
そんで「アラ還以上…」
???

つねに「アッツイなあ~…!」

アッハッハッ!
いや、オレが競輪を始めた40年くらい前にね、「アッチ~なあ~!」とか「アッツイなあ~!」が口癖の予想屋さんが西武園にいたの。

500走路時代なんで、今とはホームとバックが逆なんだけど、昔の1センター、現在の2センター側のスタンド外側の下で商売なさってたのね。

ちなみに当時は、その旧1C側のスタンド外が売店や食堂が多く賑やかだったので、予想屋さんもそのあたりに結構集まってたんだ。

さらに、付け加えとくと当時はネットも電話投票もない時代。
車券はもちろん、競輪も現場に来ないと観れなかったわけだから、開催日は常に超満員。
普通開催でも、お客でビッシリ。

なもんだから、どこの場でも予想屋さんの数はかなり多かったって記憶があるね。

さて、んで、その「アッチ~なあ~!」の予想屋さんなんだけど、得意なフレーズは、あとこういうの…

「ひ~、またウラだ~!」※裏目で決まった

「またヌケた~!」※抜け目で決まった

「今の埋め合わせはするよ!」

「ヤケクソでいいから乗っかれや~!」

「このレース、オレも買ってるから、100円出したら車券見せてやる!」

「おりゃ~、オレも有り金勝負だからよ~!」

あとは「ひ~!」だの「あ~!」だのの悲鳴を各レース、ゴールの度に発せられてたのかな…(笑)

んで、ごくごくたま~に奇跡が起きて的中となると

「おら、ど~だ~!オレは天才だろ~!」

ここまで聞いたら、もうおわかりでしょうけど、そういうレベルの予想屋さんだったわけ(笑)

お世話になりました

でも、オレは好きだったよ。

「ひ~、アッチ~な~!またウラ食った~!」
「今の埋め合わせはすっから乗っかれや~!」
「ヤケクソでいいからさ~!」

レースが終わる度に上がるこの雄叫びを聞くのが面白くて、西武園に来たときは必ずこの予想屋さんを見物に行ってたな…

というより、この方の悲鳴を聞かないと西武園に来てるって感じがしなかったかも(笑)

もちろん、この方の予想を買ったことは1度もないし、能書きもほぼ中身無しだったと思うんだけど、それでもある意味役には立ったんだよね。

一応、レース予想らしきものを聞いていると、この方がどのへんを狙っているのかが何となく想像できちゃったりする事もあるじゃん。

そしたらさ、その線を外して車券を買えばいいわけ。

例えば迷ったりした時や、買い目が増えて絞りたい時は、この方の狙ってそうなやつを切るといった形で利用させて頂いたのかな(笑)

けっこう有名だったみたい

あっ、そうそう!
そういや、ある日、こんな事もあったっけ。

その予想屋さんから、やっぱりちょい離れたところにオレは予想紙見ながら立ってたのね。
その予想屋さんの雄叫びや悲鳴は、多少離れていても聞こえてくるんで。

んでね、たまたまオレの近くをネクタイ姿の二人連れが通りかかったのよ。
(当時は、仕事抜け出して来てる風の人なんて珍しくも何ともなし)

何となく会話が聞こえてきたんだけど、どうやら競輪好きの人間が初心者と思しき同僚連れてやってきたって感じだったのかな。

んで、色々教えている最中に例の予想屋さんの雄叫び(レース前なので悲鳴でない方)が上がったの。

そしたら、それ耳にした初心者さんが

「へ~、あ~いうのが予想屋ってやつか~!」

感激した面持ち?で予想屋さんの方に歩き出した瞬間、すかさず同僚さんが一言…

「あ~、ダメダメ!あいつは嘘つきで有名だから!」

も〜、心の中で大爆笑!

なるほど、やっぱあの予想屋さんはそれなりに有名で人気者なんだと実感できた瞬間でもあったかな。

たしかに周辺のお客達は、いつも小馬鹿にしたようにニヤニヤしながらその方を眺めてたし…

というわけでさ、ゆえに「アッツイなあ」と「西武園」で、その予想屋さんの事を思い出しちゃうって話(笑)

70代くらいで昔から西武園を利用していたってお客さんがいたら覚えてる人もいらっしゃるかもね。

興味のある人がいたら、お年寄りに試しに こう聞いてみたら…

「500バンク時代の西武園、1C外にいたという『ウソツキ予想屋』って知ってます?」

⋯って!

 

アッハッハッ、めちゃくちゃおもしろそ~!
あたしも、そういう予想屋さん見てみたかったな~!

オレも西武園に来るたび楽しみにしてたもん

その予想屋さんって、いつぐらいまでお仕事なさってたの?

わかんない!
マンガ家としてデビューしてからは、ほとんど現場行けなくなっちゃったから…

あと、オレが20代だった頃の話だからね
それに、当時の予想屋さんでしょ
年齢的には、かなり上だったし、そういえば20~30年前?、すでに召された的な噂を耳にしたことはあったけど…
実際はわかんない

でもさ、お客さまがいっぱい来て、予想屋さんもいっぱいいた時代の競輪場ってたのしそう!
あたしが、つれてってもらいはじめた幼稚園だか小学校低学年だったころは、まだそれなりに にぎわってたけど、センセェたち世代ほどではなかったろうからさ…

ちなみに、オレが行ってた頃の競輪場には女性客の姿は皆無
まあ、あの中に入って行くのは相当無理があるだろうなってくらいの雰囲気だったから、もしタイムスリップができたとしても、あたりちゃん入って行く勇気でるかなあ…(笑)

だいじょうぶ、だいじょうぶ!
あたしは関センセェの姿を日々みてるからさ

ひと月くらい風呂キャンして、ボロンボロンの格好で、大根はいった袋かかえて入場するから!

それでも、あの時代なら、きっと近づいて来る人はいるんじゃないかなあ…?
「ねえちゃん、ねえちゃん!もし金が無えなら、いい仕事紹介するよ!」
な~んて風に…(笑)

そんなの、今だって毎日だよ!
関センセェが
「あたり~、い~狙い目があんだけどよ~、グへへへへ~」
って!

あ~、なるほど!(笑)

 

 

 

はい!
さ~、じゃ、みなさま!
あたしは、ある程度~までなら近づいてくるかたも大歓迎!
西武園記念でおあいしましょ~!
「でわ!」

117話B面『昔の記念競輪』

みなさま、元気でお過ごしですか?
いよいよ『西武園75周年記念』が間近にせまってきております。
くれぐれもその日をむかえるまで、食事、睡眠、室温調整などに気をつけ体調くずさぬようおねがいしますね。
最終日、最終レースの発売を終了したのちは、道ばたでコロがるなりなんなり好きなよ~に過ごしてけっこ~でございますので♡

ふ~ん…
今回は『闇輪』ときたか(笑)

あいかわらず通常の宣伝では使われないような言葉をチョイスするねえ~(笑)

ここに訪問してくださるお客さまには こ~ゆ~ほ~がいいのかなって、あたしも苦労~してんですよ(笑)

復活してほしいなあ…

というわけで、あたりちゃんが準備にがんばっている西武園記念だけど、今回は記念絡みでちょっとこんな話をしてみようかな…

先月の京王閣で前節・後節、2開催で記念やったじゃない。
オレ、ものすご~く懐かしい気持ちになっちゃってさ。

昔は、全国すべての記念が2節制だったからね。
で、2節制ってごちそう2回食べられるって感覚にもなるんで毎年最高の楽しみだったのよ…

そうでなくても その頃って、例え記念でも地元地区のものしか観ることも買うことも ほぼ出来なかったんで、ゆえに本当に貴重な開催でもあったんだ…

今回、京王閣が2節制でやった経緯ってのは知らないんだけど、個人的には、また昔みたいに全場で前・後節制でやってくれるようになったら本当に嬉しいんだけどね。

前後節制時代のイメージ

ちなみにオレが通ってた頃の記念、前・後節制のイメージって、もう少し詳しく語ると、こんな感じのものだったかな…

まず、同地区の超大物選手、特に同型選手を適度に分散させていたこと。

そういった選手同士の普段の対戦が減る分、特別競輪での対戦がすごく面白くなるんだよね。

例えばオレの時代の超大物、中野浩一さん(35期・OB)と井上茂徳さん(41期・OB)なんて、どちらも『記念まわり』(※記念競輪しか斡旋されないクラス)の人だったけど、同場所記念に斡旋されても必ず前節、後節どちらかに別れての出場だったもん。
(※あくまでもオレの記憶では)

だから、両者の連携(対決)はタイトル戦みたいなもんじゃないと観られなかったわけ。

さらに言うと大抵の場合、記念の前節・後節それぞれをお二人が取っちゃうでしょ。
つまり、同地区の王者同士がタイトル戦で始めて雌雄を決するって図式になるわけ。

「同地区の超大物同士の潰し合いを避ける」
「地元大物選手のメンバー的優遇」

全国的に、こんな流れで斡旋されてたから、(※オレの認識では)各地区で優勝数、1着数を誇る横綱、スター選手達が今の制度よりも多く生まれていたような気がすんのね。
記念の優勝者だって今の2倍出せてたわけだし。

もし、今の時代なら、例えば福井記念は脇本雄太選手(94期・福井)と寺崎浩平選手(117期・福井)を前・後節に分けて出場させ、両者それぞれを福井記念の王者にさせるみたいな感じになるのかな…

で、各地の王者が一斉に集まり誰が一番強いかを競う。
それが、昔の特別競輪だったような気がすんだ。

夏の高校野球に例えると、記念競輪が地区予選、特別競輪が甲子園大会というわけ。
で、各地の強豪校が、各地の横綱選手。

高校野球は甲子園大会はもちろん盛り上がるけど、予選だって同じくでしょ。
競輪も同じ、地元の記念競輪で地元の横綱の強豪ぶりを堪能し、特別競輪で各地の横綱によるタイトル争いを楽しむわけ。

というわけで、当時の記念はタイトル戦に負けず劣らずの人気ぶりだったイメージがあるな…

もし1節制だったら…

そういや、記念競輪が今の1節制に変わるってなった頃、けっこうな数のファンが残念に感じてたんじゃないのかな。

繰り返しになるけど、滅多に観られないから面白いと思える同地区同士、超大物同士の対戦が、平素当たり前に観られるようになり、希少性も下がっちゃうわけだから。

しつこく言うけど、オレが胸踊らせて競輪場通ってた頃に、もし1節制だったとするじゃん。
そうなると東京の横綱は、山口健治さん(38期・OB)、尾崎雅彦さん(39期・OB)、清嶋彰一さん(40期・OB)、3人の中の誰か1人ってことになっちゃてたんだよね。

地元記念を走る時、常に3人一緒で登場でしょ。

山口さん、尾崎さんは『追い込み』、清嶋さんは『逃げ』って事で、2節制でも清嶋さんと お2人のどちらかが一緒ってのは普通にあったけど、山口さんと尾崎さんが一緒ってのは、オレ記憶にないもんね…

1985年の立川ダービー、マークの山口、尾崎が、逃げの清嶋の後ろをどう並ぶか?
ファンの間で物凄く注目を浴びたのも、前・後節制により それぞれが同格の横綱だったからだと思うんだよね。

と言いつつ、こういう声は もちろんあったよ。

「結局、談合で並び決めてるだけじゃん!」
「記念だって3年に1回ずつ順番に取りゃ良かんべ!」

ハイハイ、わかってますって!
でも、そ~ゆ~余計な意見は、今は無しにしてね(笑)

 

 

あたしも前・後節制、すきだったなあ…
センセェ同~様、お祭りに2回いけるような気分だったもんね

ただ問題は、今は ほとんどのお客さまが携帯で買う時代でしょ…
行かなきゃ買えない、観られないって頃とは事情がちがうもんね…

たしかにね…
今は現地観戦って、あまり求められなくなっちまってるもんなあ…

でもさ、単純に記念開催が倍になるってのはネット専門であっても楽しめることではあるんじゃない
若手選手や格下選手たちが、各地の横綱達に挑戦出来る機会が増えるでしょ

大物同士の対戦もいいけど、これだと様々な対戦模様をさらに観られるようになるじゃん

そうね!
上に挑戦する機会がふえるって、選手たちにとっては、さらに闘志をもやす材料になるもんね…
けっこ〜、盛りあがるかも!

あっ!
でも、ちょっとまってくださいよ…
スタッフの身からすると業務がふえるのは、やっぱなあ…
お給料2倍になるならいいですけどね…(笑)
「でわ!」

 

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