58話B面『岸和田オールスター食中毒騒動(前編)』

さてさてB面です(╹◡╹)♡
あさってからいよいよオールスター(*≧∀≦*)
どんなドラマが展開されるのか楽しみです。
ところでみなさん、タナカセンセェにはオールスターというと今でも思い出す、ちょと特殊な思い出があるそうなの。
本人いわく、かなしい?物語なんだそうですが、でもどうなんでしょ…フフフ
みなさんに、おしゃべりしたいんですって(^_-)-☆

タナカのつまらないざれごと

はい!
というわけで、今回もまたオレが登場ね!

実はオールスターっていうと、聞くも涙、語るも涙の実に悲しい衝撃的なエピソードがオレにはあんのよ。

そりゃも~本当に大変な思いをしてさ…

ほんじゃ、早速行くけど、それは1988年9月に行われた第31回岸和田オールスター。

決勝戦、怪物•滝沢正光選手(43期•OB)、当時グングン台頭してきた若手のスター、坂本勉選手(57期•OB)の壮絶な逃げ争いを、最後に中野浩一選手(35期•OB)が差して優勝したって時の大会。

このレースに関しても強く印象が残ってるんで機会があればいつか取り上げてみたいと思うんだけど、今回はレース以外で起こったハプニングの話ね。

マンガ家デビュー直後のオレ

あっと、その前に当時のオレについてちょっと説明。

今までにも何度か話しているけど、オレはこの年の6月に「ギャンブルレーサー 」でデビュー。

で、直後に振興会(今のJKA)から呼び出し受けたので挨拶に行ったの。
そしたら、特別競輪や各地の記念競輪の招待状をいただけるようになったんだ。

ほんで、招待状使って初めて出かけたのがこの岸和田オールスター。

ところでさ、この1988年って、オレにとっては本当に不思議なことがたくさん起こる一年だったのよ。

まずマンガ家って仕事にありつけたでしょ。

ちなみに、年を迎えた時点では無職で貯金もほぼゼロ。

特に前年は競輪で凄まじいくらいにやられっぱなしだったんでね。
毎日通って、毎日やられて…

人にもどんどん相手にされなくなって…

なのにさ、春にマンガで新人賞を取っちゃった頃から、いきなり風向きが変わっちゃったのよ。
人にもどんどん相手にされるし、とにかく色々よく当たるようになったの。

ふと頭に浮かんだことが、その後本当にその通りになっちゃうとか…

あれだけやられ続けた車券も同じ。
思いついたまま適当買ってもポンポン当たっちゃうのよ。

もちろんいいことばっかじゃなくてその逆も。

いろんなものによくぶつかったりしたんだけど、その最たるものが自転車乗ってて自動車と激突したこと。(この時は、路上に頭からモロに叩きつけられて死んだと思った)

具体的には言えないけど、気味の悪いものにも何度か訪ねて来られたりね…

とにかくいろんなことが起こる一年だったのさ。

車券で当たりまくった後…

さて、岸和田の話に戻るけど、この時って今話したように連載始めてまだ間もない頃だから、当然世の人々には全く知られてない存在だったのね、オレは…
(このことが後に大きな意味を持ってくるから、ちょっと覚えておいて)

で、開催初日から二日間くらいの予定で行ったのかな。

さて初日。
関係者席だか招待者席だったか忘れたけど、とにかく初めて一般席じゃないところで車券を買う体験をしたの。
と言っても、初めてのそういう場所なので、いろいろな方紹介されたり挨拶があったりとかで、落ち着いて予想紙読んだりする余裕はまったく無し。
なのに、車券の方はやっぱり当たりっぱなし。

も~ど~なってんだと思いつつ迎えたその日の晩…

夕食を済ませ、まだそれほど遅い時間じゃなかったと思うんだけど、ホテルの部屋の中で急に激しい下痢、吐き気に襲われたのよ。

ついに車券だけでなく食い物にも当たっちまったか?…なんて冗談言ってられたのも最初のうちだけ。
どんどん、悪化する一方でとうとう救急車にお世話になる事態まで行っちゃって。

症状もかなり重かったみたいで運ばれた病院で即入院ってことに…

で、その後しばらくすると続々救急車や救急患者が入ってくる事態になって、どうやら集団食中毒の発生らしいってことが分かったの。

運ばれた患者第一号がオレだったみたい。
まっ、これも名誉なことなんだろうけどさ…

患者仲間に素性を聞かれて

でね、その日の晩運ばれてきた人たちってのは、ほとんどが競輪関連の記者さん達。

岸和田競輪場で関係者用に用意された弁当が発生源だったらしいのね。

30年以上前のことなんで菌の種類とか忘れちゃったけどメジャーな種類だったってのは覚えてるよ。
サルモネラとかビブリオとかブドウ球菌とか、そんなあたりだったんじゃないかな…

冗談抜きに相当苦しんだよ。
熱も確か40度近く出て、翌日も昼頃までは意識が朦朧としているくらいだったかな…

で、入院二日目だったか三日目だったかもう覚えてないんだけど意識が普通に戻りだした頃、また新たなる出会いと人間関係が始まったんだ。

入院患者さんはさっきも言ったように記者さんばっかでしょ。
同室になった方も記者さんだったのね。

で、素性を聞かれることになるんだけど、その時オレちょっと困っちゃってさ…

各病室に散らばってる患者さん達もみんな記者さんだからほぼ全員顔なじみ。
そんな中、ただ一人見知らぬガキが一匹混じってるんで不思議に思われヒソヒソ話の対象になってたらしいのよ。

「オケラになった客が忍び込んで弁当盗み食いでもしたんじゃねえの」
「ゴミとして処分された弁当拾って食ったのかもな」
「若えのに、みっともねえヤローだな…」

後になって他の記者さんに聞いた話だけど、本当にそういう風に言われてたらしいよ。

驚きの反応

まっそれは置いといて、こっちはまだデビュー間もない人間。
誰も知ってるはずがないし、どうやって説明しようか本当困っちゃってさ。

「実は競輪のマンガを描いてまして…」

なんて言ったところで

「は~ん???」

ってなもんだろうし、下手すりゃどっかのバカと思われるかもしんないじゃん…

それでもとりあえずボソボソと自己紹介始めたの…

そしたら、なんとビックリ!

「え~っ『ギャンブルレーサー 』⁉︎

「知ってるよ!読んだ読んだ!」

「他の記者でも読んだって人いるよ!」

まさかと思ったよ。
所詮はド素人が描いてる、しかもああいう代物でしょ。
本職の人が読めるレベルのものとはとても思ってなかったからさ…

ましてやまだ数話程度しか世に出てない頃だったしね…
きっと競輪のマンガってことで、競輪の記者さん達の目には止まってくれていたのかな。

そん時は本当に無名の存在だったから。
(繰り返すけど、これよく覚えといてよ)

でも、そんな具合に想像と反対の反応が出て、それが他の病室の記者さん達にもウイルス同様パア~っと広がったのね。

いやあ~これまた驚いたのなんの…
それまで、「この○○○ヤロ~」みたいな眼差しを向けてたらしい?記者さん達がいきなり好意的眼差しを向けてくれるようになったんだから。

専門紙「アオケイ」との出会い

まっ、そんな訳で入院中、そして退院後も予想紙記者さん達に色々お世話になるようになるんだけど、そこで特にお世話になったのが今もお世話になってる「アオケイ」さん。

数年前、亡くなられてしまったんだけど、桃木さんという記者の方が着替えだのなんだの色々手配して下さって本当に良くして下さったんだ。

悪人っぽい顔立ちの人だったけど、その後も何かと声をかけて下さり、オレには優しい人だったので亡くなられた時は本当にショックだったな…
オレと違って、ギャンブルレーサー に出てくるキャラみたいな人でもあったしね…

話はちょっと逸れるけど、当時の競輪関連記者さんやその周辺の方達って反社会勢力風顔つき、かつそういうファッションって方も多く、見分けがつかず困るってことがよくあったのよ。
時には本当にそっち系の人がいらっしゃったし。(もちろんこれはウソ)

あっ、一応言っとくけど、オレはギャンブルレーサー に出てくるキャラ達とは似ても似つかない?人間なんだからね。
「おまえって、本当に面白くもなんともない人間ね」って風に50歳過ぎるまで言われ続けてきてたんだから。
桃木さんにもよく…

さてと、最初に話を振った「聞くも涙語るも涙…」の内容にはまだ全然到達してないし「無名の存在」っつうキーワードにもまだまだなんだけど、例によって長くなってきちゃったからこの話の続きは次回ね。

いつも、あたりちゃんに怒られてんのよ。

「タナカセンセェと桜井センセェの話はいつも長すぎる」
って…

そういやこないだも、夜中に電話がかかってきて朝まで話したりしてたもんな…

う~ん…
センセェはメンヘラ女だね…
それにしても、これからど〜いうふうに悲しい物語になっていくのかしら…
なんか笑い話になっていきそうな予感(^_-)

【というわけで話の続きは次回】

A面マンガにもどる

SR21話B面『続ける限り!』

A面に出てきた「続ける限り…」って言葉で、オレの頭にふと浮かんできたのが古川(宗行/96期•東京)。

古川宗行(96期•東京)

なんでかっつうと、アイツもここ何年かずーっと続けてきてんのよ。
同じ事…
何かに取り憑かれたごとくの先行、先行、また先行…
このブログでも以前紹介(SR3話記事)してるんだけど、そりゃも~新人みてえな組み立てでさ。

あの記事から一年半。

昨日も今日も変わらず先行し続けてるよ…

違いといえばA級では優勝戦線、S級の今は延々ズタズタ…

あいつはバカなのか?

人それぞれ色んな意見や感想はあると思うよ。

でもオレは、あいつの走りには以前の時以上に心打たれてる部分があんだ。
だってよ、あいつの競走ぶり、ダイジェストで見てみなよ。

繰り返すけど、毎度毎度憑かれたように主導権取りに出て力の限り駆けて、で、毎回ケツでゴール。

これを延々続けるのって相当きついぜ。

たまにいいことが有るならまだしも全く無えままなんだもん。

皆さんだって成果の出ないこと延々続けるのって辛いでしょ。
例えば、ただの一度も当たることのないまま365日車券買い続けて平気でいられる?
財力は別として。

「だったら戦法変えりゃいいじゃねえか」

あのさ、古川のあの走る姿見てて、ただのバカがバカ丸出しで走ってるように見える?
何も考えてねえで、あんな辛いこと毎回繰り返せねえってえの。

本人の中に未来に向けての強い目的、課題があるから続けてられると思うんだ。
同時に真面目さと強い意志を持っているから続けられてんじゃねえのかな。

少なくともオレにはそう見えるんだ。

もちろん、だからってオレにあいつの考えてることがわかるってんじゃないよ。

困難は人を成長させる

オレにも憶えがあるんだけど、それなりに動いていたことがうまく回らなくなってくっと必死で色々考えるのよ。
そうなった原因とか対策…

同時に自己能力の再分析とか…

年齢だってあるしさ…

自分のスタイルにこだわりがあるとか変えたくねえってんじゃなくて、もう一回自分に対して実験をしたくなるのよ。
自分の能力レベルや、それに伸びしろがあるのかどうかとかをさ…
精神力に関してもな。

オレは、古川は今その実験中だと思ってんだよね。

でもさ、30過ぎた男が、それでももう一度若手と同じような日常繰り返すってなかなかできることじゃないし、だからこそあいつの今の姿を見てると心うたれるものがあんのよ。

古川の今の状況がいつまで続くのか、続けるのか、オレには丸っきりわからないけど、こういう経験は人間をどんどん成長させると思うんだ。

同時にさ、古川の今の姿は、困難を抱えながらも必死で生きている人間たちに大きな共感を与えるものにもなるんじゃねえかな。

古川、がんばれよ!

「続けている限り失敗ではない」
「あきらめた時はじめて失敗となる」

この言葉を愚直に実行してるのが今のお前かもな。

うえ~~ん…(>人<;)
セ、センセェが、まともなコメントしてる~~~
あ~ん…
ぜったい地球滅亡の前兆だ~~(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
でも、ちょっぴりうれしい…♪()♪

今月、地元の馬場喜泰(76期)選手が現役を引退されました。

本当にお疲れ様でした。

現役最後となった前期の競走はコロナ禍の中であったにもかかわらず連日気迫溢れる素晴らしい競走を見せてくださったと思います。

馬場さんは76期で1995年のデビューなんですね。
馬場さんが引退ってことで、オレの気持ちはまたまた複雑です。

馬場選手の作文

オレって東京出身で今も東京住んでるけど、馬場さんがアマからプロになるその頃って実は埼玉の方に仕事場持ってたの。
で、もちろん地元の業界関係者や選手の皆さんたちにも色々お世話になったんだけど、特にお世話になったのが、資料的なものをお借りしたり頂いたりすること。
漫画を描く上で資料集めってのは本当に重要だからね。

でね、そういったものの中に競輪学校の受験や、プロを目指す地元の子たちに関するものもいくつかあったのよ。

例えば、競輪学校の入試問題用紙や地元の受験する子たちの願書や内申書的なもの、各受験生が取り組んだ後の学科試験練習問題の答案用紙とか、あと入試の項目にある作文の練習したものとか…

ちゃんと「2分の1たす2分の1は4分の2」って具合に解答が入った答案用紙や、「ぼくはしょうらい競輪せんしゅになりたいです…」的な内容の作文を読ませていただくのはめちゃくちゃ楽しかったかな…(変な意味でなく)

でね、そういったものの中には何と馬場さんの書いた作文も混じってんのよ。

オレ、それ返しそびれててまだ持ってんの。

もちろん何が書かれているのかは秘密だけどさ…

そうそう、その頃にはこんなこともあったっけ。

受験を控えて学力に不安のある子が、練習後うちの仕事場に来て、うちの高学歴のアシスタントさんに勉強教えてもらったりとか。
学の無いオレはもちろんそれをニヤニヤ眺めながら、もしオレにも教えてくれって言われたらやばいな…なんてヒヤヒヤしてたこと今でもよく覚えてるよ…

あっ、これはもちろん馬場さんじゃなくて別のやつの話ね。

オレの頭の中

話をちょっと脱線させちゃったけど、何が複雑かっつうと、今やそういう子たちが現役を引退する時を迎えてるってこと。

オレからすると、その頃の事が昨日のように…とまでは言わないけど、それでもやっぱりついこの間の出来事のように感じる部分はあるからさ。

そういえばその頃って、当時高校生だった太田真一(75期•埼玉)選手が結構話題になってて、「天才少年が競輪学校行くんだってよ~」なんて話で盛り上がったりしてた記憶も残ってんだけど、今年何と息子(太田龍希/117期•埼玉)さんが選手デビューでしょ。

当時の高校生や二十歳前後だった子たちが引退だったり、お子さんが選手デビューしたり…

それだけの月日が流れちまったってことと、その流れの速さ、そして自分がそれだけ歳をとったんだってことにえらい驚きと戸惑いを感じちゃうの。

オレ、競輪始めたのが80年代なんで頭の中は、60期代=新人…みてえな感覚もまだちょっと残ってんだよね。

笑っちゃうけど。

50期代が若手、40期、30期代がバリバリ、20期代がベテラン。
それより上がジイさん…

そんな感じで固まっちゃってるから、たとえ競輪のことでも若い人の話題には、もう日々ついていけなくなるいっぽうかな。

セカンドレーサー第二の人生

さて、馬場さんの話に戻るけど、ああいう(?)作文を書いてた少年がその後立派に選手になって活躍もできて、さらには貫禄もついて、歳はオレより一回り以上下だけど堂々として、今じゃオレよかよっぽど大人。

これからはOBとして、また色々話を聞かせてもらえたら嬉しいなあと思います。

第二の人生、お互いがんばりましょう!

へえ~~そんなエピソードがあったんだ…
馬場選手の作文読んでみたいなあ~(*≧∀≦*)

A面マンガにもどる