59話B面 『オシッコのオギゼン!』

さてさて、B面です。
じつは先日、タナカセンセェが西武園競輪場におみえになったの(⌒▽⌒)
ちょっと荷物をとりに来たってていどのご用事だったんですが、あいかわらずつづいているこのコロナ禍、当場に足を運ばれたのもひさしぶりとのこと。

人に会うきかいも少なかったそうで、きっとうれしかったんでしょうね(^ν^)
わたしの上司や、場のお仕事にきていただいてる選手OBのみなさんたちととっても楽しそうにおしゃべりに花を咲かせていらっしゃいました。

えんえん…>* ))))><

めんどうくさくて、あたしはもう、ソッコーで逃げだしましたけど…(^_-)-☆

タナカのつまらないざれごと

仕方ないじゃん…

夕方だったし。

仕事に来てた皆さんたちも、ちょうど業務を終えて帰宅するってタイミングだろ。

出入り口をくぐった瞬間からもうポンポン顔合わせちゃうんだもん…

ってなわけでまたしても始めたというか始まっちゃったんだけど、職員の方お一人交えたOBの荻善さん(荻原善一/48期)とのおしゃべりが本格的になっちゃってちょっとご迷惑かけちゃったかな…

まっ、別に大した内容じゃないんだけどさ…
年寄りが二人揃えばもう昔ばなししかありえないしね。

でも、それがまたとっても楽しいのよ。

ちなみに荻善さんとオレは歳も近くて顔合わせればいつも結構話し込んじゃったりしてるんだ。

初めて遭遇したのは、もうなん年前くらいだろ?
オレが車券買い始めたのが昭和60年だから、きっとその頃なんだろうね。

つまり35年前…?

もちろんその頃のオレはただの客。
で、荻善さんはもうバリバリのS1レーサーだったんじゃねえのかな…?
二班だったかな?
忘れちゃった…

連れションの思い出

オレ、荻善さんにはちょっと変わった思い出があるんだ。
本人は全然覚えてなかったんだけど、西武園がまだ500走路時代。

オレもただの客からマンガ家になってて、たぶん記念か準記念(荻善さんはS級だから当たり前の話)なんだけど、記者席で競輪観てた時があったの。
で、最終レースが始まる前、「オレ金網で見たいから」っつって部屋を出たのね。

(そ~だ、外出る前にオシッコしとこ…)

と思ってトイレに入ったのさ。

そしたら何と、9番者緑赤の勝負服身につけた先客がいるの。
チラッと横顔見たら…

(あり⁉︎

(やっべ~荻善さんじゃん…)

記者席に入れるような身分になってたとはいえそれでもまだオレの気持ちと格的には、ただの客とスター選手。
(若い人は知んねえかもしれないけど、当時の荻善さんって一発がある本当怖い(車券的に)選手だったのよ。二発はあんまりなかった?けど…)

華麗なフォームでオシッコ中の荻善さん

しかもさ、何日めだったかは覚えてないけどいずれにしても最終レースを走るお人。

馴れ馴れしく声かけるなんて畏れ多いでしょ。

「が、がんばってくださいね…」

って一声出すのが精一杯。
並んでオシッコしながら…

返事があったのかどうかすら覚えてないんだけど、でもなんか不思議な感覚になったのはよく覚えてんだ。

だって連れションした人間がその後すぐ、金網の外で見つめるオレの前を9番車つけて走ってんだぜ…

結果なんて覚えてないし、ただそれだけの出来事なんだけどなぜか強く印象に残ってて、今だに荻善さんの顔見ると連れションのこと思い出しちゃうんだ。

オレにとっての荻原さんは、だから緑赤の9番車着てオシッコをしてる競輪選手。

「オシッコのオギゼン!」

オレの頭の中では永遠に…

乗車フォーム…
じゃなくてあのオシッコしているフォーム…
完璧だったもの…!

 

選手が三人オレん家に

さてと、ちょっと話は変わるけど、8月の終わりになぜか競輪選手が三人、オレん家を訪ねてきてくれたんだ。

メンバーは、地元の内藤高裕選手(96期/東京)と飯田よしの選手(106期/東京)。
飯田選手の友人とのことで、矢野光世選手(104期/福岡)。

突然の訪問だったからビックリしたけど、

(しめた!)

とは思ったね。

飛んで火にいる夏の虫…

孤独老人宅に若者三人!
(オレからすると若者)

早速、昔ばなしの餌食にしたよ。

さっき、年寄り揃えばもう昔ばなし…って話したけど、相手が若者でも年寄りにはやっぱ昔ばなししかねえからね。

おしゃべりは最高の幸せ!

だって仕方ねえのよ、もう…
現役世代と違ってリアルタイムの物語をなかなか作れないでしょ…

昔みたいにバリバリ仕事してるわけじゃないしさ。

同世代たちだって、ほとんどみ~んな第二の人生。

そういやオレん家って、昔はほぼ毎日朝から晩まで誰かしらが出入りしてたの。
っていうより仕事の時はアシスタントさん泊まりが基本だったから、20数年間は合宿所暮らしみたいな感じだったんだ。

今はもうそうじゃないからね…

飲み会やったり、たまに友達が寄ってくくらい。

んな訳だから、誰かが来てくれるってのは本当に嬉しいし、かつそれが話を思い切り盛った自慢話をできる若い人ってのはもう最高なんだ。

さて、三人が訪ねてきてくれた時の話はまた改めてする予定だからお楽しみに。

今回このまま続けると長くなっちゃうんでさ。

「いや〜ホント楽しかったな〜!」

さ、さいあく…
おねがいだからナガばなしだけはよしてくださいね…

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SR22話B面『岸和田オールスター食中毒騒動(後編)』

2週間おまたせしました、タナカセンセェのハプニング話の続きです(*≧∀≦*)
といっても、それほど大した話じゃなさそうなんですけどね…

オレにとっちゃ大ごとだったのよ。
とっても悲しい…

疲れ切ってました

はい、それじゃ話の続きね。

1988年岸和田オールスターで集団食中毒に巻き込まれたオレなんだけど、まだマンガ家デビューして間もない頃でしょ、本当に忙しく時間に追われる日々だったのよ。

特にオレの場合、マンガの作り方すらろくに知らないままいきなり連載だったからさ。

それまで、それほどの量描いたこともなければ、アシスタント経験もなし(希望しても全て断られたので)。
そっち系の知り合いもゼロ。

しかも題材と内容がああいったもんだったからなのか、編集者さんは作品作りにノータッチ。
同業者なら驚くと思うけど新人なのにネームチェックもほぼナシだったのよ。
(数ヶ月後にはネームを求められることすらなくなって、そのうちまともに作ること自体なくなっちゃった)

例えて言うなら、ピストレーサーもろくに乗ったことのない人間が競輪学校どころかB級A級飛ばしてS級の競走走らされるようなもんなんだから、今考えると恐怖すら感じるね。

それに、その頃はもちろんアシスタントさんなんているはずもなく、原稿上がっても編集者さんが取りに来てくれるって身分でも無し。

一人でネタ考え、資料集めて一人で描いて、出来上がったら編集部にお届けに上がる…
そんなサイクルだったから本当の本当に大変だったのよ。

メシ食ってほんのわずか寝る以外は丸一日机に向かい続けて、それでも時間が足らないって感じの日々だったかな。

もちろん競輪は、ほとんど行けなくなっちゃったからもっぱらテレビ観戦。

当時は業界のことなんて何にも知らないから、みんなそうなんだろう…ってくらいにしか思ってなかったけどさ…
(というよりもっと大変だったみたい。実際にはオレは楽な方だったらしい)

で、とにかくもう常に疲れ切ってる状態で、ある時の原稿渡しの帰りなんて頭がクラクラして地下鉄の駅の階段を降りられず、平日の3時くらいだってえのに自宅まで一時間半くらいの距離タクシーに乗ったことがあったもん。

まっ、そんな感じだったから食中毒にかかっちゃった時も体調の悪化が早く、症状も重くなっちゃったんだろうね。

病院を脱走

さて、そういう事情を抱えてたんで入院したっつってもいつまでもそこにいるわけにいかなかったの。
早く帰って原稿作らないと間に合わなくなっちゃうでしょ。

特にその頃は、仕事欠場するって考え一切頭になかったからね。
無職だったオレが、やっとありつけた仕事なんだものさ…
(前回、チラッと車にはねられた話をしたけど、その時も欠場せずだよ。編集部も驚いてたみたい)

一週間くらいは入院してなきゃいけなかったと思うんだけど、たぶん三日目くらいに脱走みたいな形で無理やり飛び出したのかな。
競輪場での食中毒ってことで病院代とかはまとめて施行者が持つってことになってたみたいだから手続きみたいなものもほとんどなかったし。

でも、これが後に大ショックな展開となって己に帰ってくるんだよね…

驚きの事実

それから2~3ヶ月経った頃なのかな…

ある日、岸和田で知り合った「アオケイ」記者の桃木さんから電話があって、京王閣遊びに来いって誘われたの。

で、会いに行ったんだけどそこで急にこんなこと言われたんだ。

「いや~オールスターじゃ、お互いいい思いできて良かったよな~。
お前さんも相当もらえたろ?グヘヘへへ~」

いったい何のことだかさっぱりわからず、

「いい思い?」

って聞き返したの。
そしたらさ…

「だっておめえ、見舞金や休業補償たんまりもらったべ!」

「あんときゃ、みんな一晩くらいで回復したヤツが多かったんだけど補償が出るってことと、仕事の方は各紙、別の人間が補充で入るってことになったもんだから入院した連中はもう大喜び!」

「昼間は仕事抜きで競輪!」

「で、外で遊びまくった後、夜だけ病院戻ってホテルがわりに宿泊!」

「しかもさ、入院中必要なものは何でも施行者が用意してくれるってことになって病室にレンタルのテレビだの何だの…」

「それで金までもらえて開催期間ずっと居座れたんだぜ。
も~最高だったな!」

オレの、その時のショックといったらも~…

(オ、オレは何にも…)

(というより連絡すら…)

無名の悲しさ

症状の一番重かったオレが、それでも看護師さんの追走振り切ってフラフラの状況で自宅に戻りフラフラのまま机に向かい…

病院に二日か三日いたせいで作業スケジュールが大幅に狂ってしばらくの期間はさらにに地獄だったのよ。
記者さん達と違って、誰か代わりにやってくれる人も手伝ってくれる人もいやしないんだからさ…

ところで前回、競輪やってる人には多少オレの存在知られ始めてたけど、一般的にはまるっきりって言ったでしょ。

これ後日談だけど、招待されて行ったってことは名簿には当然名前とか住所入ってたはずなんだよね。
けどさ、施行者、すなわち自治体の職員さんたちって一般的な方の部類に入る人たちじゃん。

世に出て三月も経ってない「ギャンブルレーサー 」なんてマンガ知りやしないし、そもそもどの組織にも所属してないただの一個人「田中誠」なんて名前見たってどこのどいつかわかるわけないのよ。

病院も早々に抜け出して職員さんとの面談や調査も受けてなかったしね…

そんなわけで、見事にオレだけ黙殺されたままって状況になっちゃったわけ。

オレが何も補償を受けてないって知った桃木さんが岸和田市に連絡入れてくれたんだけど、後日オレに届いたのはお見舞い状の紙切れ一枚…

たぶん補償関連の手続きは終了したので…みたいな内容だったんじゃないのかな。

その頃はオレも忙しかったし、もう面倒くせえからそのままほっぽらかしたんだけど、でも世の中って本当不条理だよね。

あの岸和田オールスターで一番被害の大きかったのは間違いなくオレだったんだからさ!

うえ~~~ん
貧乏くじばっかひく人間ってかわいそ~>* ))))><
センセェから聞く話っていつもそんなのばっかだもんね~(-.-;)y-~~~

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