50話 松浦悠士『アタマ使ってるよ~ん~♫~』

親愛なる皆さま~!
~12月10日を過ぎたのよ~!

ちゃんと、お金と頭使ってます~?

12日から西武園のヒラ!
16日からは大宮でS級があっから、GPのことはひとまず置いといて、どんどん使っちゃいましょ~!

同じ金なら女房子供につっこむより、穴にでもつっこんでドブに捨てちゃう方がなんぼかマシでしょ!

松浦悠士 松浦悠士

G1初制覇の松浦悠士。
もう29歳なんだな。

プロフィールを見ると、タイトルを手にする選手としては出世は決して早い方じゃねえけど、じっくりコツコツ上がってきたって感じだよな。

で、上に上がってからは、完成度の高い自在選手として安定した走りをきっちり見せてくれている。

下で走っていた時代から日々ず~と地道に鍛錬重ねてたんだろうな。
でなきゃ上で活躍なんてできるわけねえもん。

遅咲きのコツコツ型ってのは、オレが思うに根が本当に真面目でストイックってやつが多いような気がするんだ。
ほんで、こういうやつは結構長持ちすんだよ。
成績的にも選手としても。

実際の松浦が本当にそのタイプかどうかは知らねえけど、きっとそういうタイプじゃねえのかな…

ところでさ、お前らにとって、「こいつの真面目さ、ストイックさには負ける、尊敬できる」、みたいな存在がいたら、エピソード込みでちょっと紹介してみてくんねえか。

現役、OB、場合によっちゃ他県の選手でもいいからよ。

新井の場合は、親父(新井正昭/31期・OB)さんだっていいぜ。へへへ
あの人も典型的な「ザ・競輪選手」だったかな。
滅多に口は開かねえし、いつも気迫みなぎらせてるタイプで、ストイックってセリフも似合う人ではあったかも。
選手としての晩年の頃からは同じ人間とは思えないくらい丸くなったけどさハッハッハッ

地道にコツコツという選手をひとり挙げるとしたら、それは間違いなく僕がデビューしてから20年お世話になってきた小沼良選手(68期・埼玉)です。

僕が小沼さんを知った時にはすでにA級の優勝の常連者でA級1位でS級に上がる頃でした。

しかしずっと強いのかと思っていたらB級の時代が長く少しずつ実力をつけて上がってきたとの事でした。

練習に対しても真面目でコツコツ、練習も休まず8つ年上の先輩ではありますが体力がハンパないですね!

レースも追加、補充も断らず年間と月間の出走記録を持っています。

そして競輪のみならず自転車が大好きでロードレースやトラックレースの自転車競技大会にも出場し、45歳で1000mTTで自己ベストを作ったくらいまだまだ進化しています。

そして奥様も自転車競技をされていて女子のマスターズ大会を優勝するほどの実力者。
御夫婦共に素晴らしい選手です。

僕も少しでも長く競輪選手として、そしてより高いグレードで走れるよう地道にコツコツやって行きたいと思います。

現役時代、小沼とは何度か同乗したな。
でも、あいつはいつも不信感丸出しの顔でオレを見てやがってよ!
今でもオレの姿見かけるとあいつ逃げんだよな。
マーク屋のくせに…
ただ、今現在もS級で頑張ってるってところは本当に大したもんだし立派だよ。
まだまだ粘ってほしいな、ウン!

それではリクエストに応えて自分の師匠でもある親父の話を(笑)

でも、親父の話を語り出すと長くなりそうですが、、、(笑) 

なんとなくわかると思いますが、あまり父は、あーだこーだと言う人ではなかったです。

アマチュアの時は基本的に休みはなかったですけど、たまたまあった同窓会で、深夜に家に帰ってきた時に師匠から「今日は休め」って言われたのをいまでも記憶しています。
正直驚きましたし、いまでも鮮明に覚えています。

師匠は、とにかく練習に関しては休まない人でした。
グループでいつも行くコースを例え1人ででも、競走終わった次の日とか関係なく常に自転車に乗っていました。

子供の頃から見てますけど、自分が一競輪選手となって改めて師匠の偉大さをすごく感じました。(実親ですが、、、。)

師匠が書く色紙に(いまはわかりませんが)努力と言う言葉があります。
その言葉を胸におき、それをいま自分に置き換えて日々の精進の糧にしています。

目標はすごく高いところにおりますが、一歩でも近づけるようにこれからも頑張りたいと思っております。

オレは昭和51年4月のデビューなんだけど、親父さんはちょうどその前の月、3月のダービーで優勝した人なんだ。
こっちは、これからまさに選手として走るって直前の時だから結構印象に残っててさ…
ほんで、特別競輪を優勝するとあんなに金を握れるんだってさらに闘志を掻き立てる原動力ももらえたんだけど、最初の頃はやっぱ「おっかねえ~」って感じで近づきづらい人だったな。

迫力があんだよ。
独特の…
新井さんに限らず、当時の最高位A1の人たちってのはそれぞれみんな特殊なオーラーを放ちまくっていたんだけどさ。
で、「こういう人達と戦って勝たなきゃ、あの金手に入れられねえんだ…」
って考えると、正直、ちょっとビビったりしてね…
でもよ、ビビったままって訳にもいかんべ。
あの迫力に呑み込まれねえようにするには、とにかくも~練習する以外なかったよ…
それでも新井さん、ず~と怖い顔したままのおじさんだったのに、ある日突然…
「お前の運命は…」
まだ、現役やってた頃だったのに、いきなり占いみたいなこと始めちゃって…
「おい関!お前は一生金に縁はない!あきらめろ!」
も~いい迷惑だってえの!

そうそう、ついでに言っとくと、新井さんて
「逃げる!」
「逃げて勝つ!」
っつう信念みてえなもんが、黙っててもガンガン伝わってくるような人だったんで、当時、新井さんをマークする選手は事前にゴチャゴチャ言う事もなく黙ってついて行くって感じだったのよ。
誰かさんとかと違って信用できるじゃん…
で、重ねて言うけど、先頭まわる方も口開かねえんだから、も~静かなこと!
葬式の行列だわなグッヘッヘッ
だから晩年、
「お前の運命は…」
みたいな事やられると、こっちもズッコケちゃうんだよな。

ダーリン♡♥♡♥のお父さま、そんなすごいかただったんですね、ビックリ(´ω`)

でもって、
なんか、おっかし(笑)フフフ

でもでも、だからステキな息子さんが誕生するのね(*^o^*)
なっとく^o^

あたしも占ってほしいな~♥♡♥

「センセェに貸したお金いつ取り戻せるかって!」

あっ、オレこうも言われてたわ。
「関!お前は引退したらまた逃げ屋に戻る!」

みなさ~ん!
懲りもしないでやってます~?
忘年会!
毎年毎年、お互い進歩も成長も全くもってございませんな~。

っと言いつつ、オレにとっちゃタタ酒とタダ飯にありつける西武園クラブの忘年会はありがたい事この上なくてさ!

今年は笠松将太(100期・埼玉)が同じ人間とは思えないほどの大活躍を見せてくれたり、今年デビューの浅見隼(115期・東京)が忘年会のスケジュールに合わせて立川完全V、続く京王閣でも1・1で優出、忘年会前日となる最終日は本命背負ったにも関わらず翌日の受けを狙って吹っ飛び決めるなどいい雰囲気での一年の締めくくりになってさ。

ところで、親愛なる皆さまがたは笠松将太の今年の変身ぶりに驚くとともに何があったのかって興味あるでしょ?
オレも興味があるから聞いたのよ。

なんでも去年の春だか夏頃、バナナの皮踏んずけて滑って転んで頭打ったんだと!

で、それ知った平原康多(87期・埼玉)が心配して色々面倒見てくれたらしいんだ。
まずは頭を心配されて、ひらがなカタカナ、たし算ひき算、金魚の産地は金山…みたいなことから箸の持ち方、靴ヒモの結び方レベルのことまでもう一回丁寧に教えてもらったんだって。

そしたら、今まで見えてなかったことが見えてきたんだとさ。

肉体よりも、脳みそ的な部分のリハビリのおかげで変身の切っ掛けをつかめたっていうんだから、やっぱり競輪と笠松将太には頭が大事って改めて思わされたね。

ところでさ、今回、若い衆と話していて、何気に驚いたことが二つあんだ。

今年S級に上がった内藤高裕(96期・東京)っているでしょ。
こいつ、表の顔は、腹黒くって、ずるくって、策士なくせに、裏じゃクソ真面目な努力家で、新年を前にしてそれなりの信念まで持ってて…

あっ、いけねえ逆か!

表がクソ真面目で、裏が腹黒ね!

まあいいや…

そもそも酒飲まないヤツだったのよ。
こいつ…

ケチってのもあるけど、元々は真面目なタイプじゃん。
だから、正反対の師匠、飯田義広(44期・OB)みたいにだらしのない酔っ払いが大嫌いらしくてさ。

そんな訳で、例え飲み会があっても、自分はそそくさ切り上げて内緒でこそこそローラー乗ってる…
みたいな、まあ、そんなヤツなのよ…

ところが今回の忘年会、なんとビールを口にしててさ!
も~たまげたのなんの!

将太同様の大変身!

このままさらにガバガバ飲むようになると、ついにあいつも真の競輪選手ってことじゃん。

やっぱりこいつもバナナの皮踏んずけちゃったのかな…?

となると、来年はさらに成績上げちゃうのか…?

親愛なる皆さん!
酒を飲むようになった内藤高裕の走りにちょっと注目してみてくれや!
あいつも結構コツコツ型だからさ…

さてさて、驚きのもう一つは、昨年デビューの樋口開土(113期・東京)!

こいつは結構センスある走りっぷりで、酒が入っている時の桜井(久昭/28期・OB)さんは結構高い評価を出してるんだ。

見栄えも案外男前でさ。

となりゃあ、それなりに女の子にもモテんだろうなって思ったのよ。

競輪選手に限らずだけど、新人ってのは結構ゲットしやすいと思われるのかスター選手並みにモテたりするじゃん。

もちろん2~3年もすりゃあっさりソッポ向かれるんだけどさ…

で、今はSNS?とかいうのでファンの子たち選手にメッセージだのを送りやすいって時代なんだろ?

だもんで少々興味が湧いて、今までどれくらい女の子からメッセージ届いたのか試しに聞いてみたのよ?

そしたら、まだ100人程度だって…

いやいや驚いたね!

普通、プロスポーツの選手としてデビューするとラブレターだって100万通くらいは来るもんだけど、ちょっと少なすぎじゃねえのかな。

よくわからんけど、今の時代ってのは、そんなもんなのかね…

まっ、このブログの読者に性別としての女ってのはいねえだろうからこんなこと書いても意味ねえんだけど、西武ライオンズの選手狙うより西武園クラブの選手狙う方がチャンスでかいぜ~!

遭遇できるチャンスが全然違うもん!

こないだも、浅見隼が競輪場隣のいなげやで普通にコロッケ買ってたしな…

※内容に一部、著しい嘘八百が含まれておりますのでご注意下さいませ

センセェはいったい何をおっしゃりだすのやら(汗)
ちょっと、あたしがお客さまにちゃんとしたメッセージを!
来年は西武園競輪場も開設70周年を迎えます。
より多くのみなさまに競輪という競技、そして競輪選手というアスリートたちの存在をもっともっと知っていただきたい。
身近なものに感じていただきたい。
何より、うんと楽しんでいただきたいと考えています。

お若い層の方たちにもぜひ足を運んでいただいて新しい時代の競輪場をみなさまとともにつくっていくことを夢見ています。
男性ばかりというイメージがまだまだ強い競輪場ですが、近年、特にビッグレースの開催時には女性たちの姿も数多くみられるようになるなど大きく変化をしてきています。

女性のみなさん、ぜひぜひグループで一度、競輪場をのぞきにいらっしゃいませんか。
そしてお気に入りの選手、たくさん見つけてくださいね(^O^☆♪
わたくしたちも、場内イベント、ファンサービス、いっしょうけんめいがんばります!!!

職権乱用して、ずるがしこく新井の「入り待ち」、「出待ち」、「追っかっけ」をしているお前がよく言うぜ…
お~い、競輪ファンのねえちゃんたちよ~!
新井をターゲットにどんどん出待ち!追っかけ!に来てくれや~!
1000人でも2000人でもよ~!

一人もきちゃダメ

49話 村上博幸『大きな目標!』

まもなく今年最後のG1「競輪祭」!

もし、村上(博幸/86期・京都)と三谷(竜生/101期・奈良)が、また一緒に決勝乗っかったらど~すんのかな?

ウエッヘッヘッへッヘッ

いや~見てみてえ…

村上博幸村上博幸

寛仁牌は40歳になる村上博幸(86期・京都)が優勝。

昔なら40代で特別競輪を優勝するなんてえらく大変なことだったけど、今はそれほどの違和感感じなくなってきてるよな。

競輪に限らずだけど、今の40代って昔の30代。
30代の奴らは20代って風によく感じるもん。
外見も体力もさ。

昔は選手のピークって20代後半からせいぜい30代前半なんて考えられていたけど、ひょっとしたらもう30代後半くらいまで伸びってちゃてるのかもしんねえな。

同時に今回改めて思ったけど、今の選手は、どんどんオール自在化してるなってこと。

特に追い込み選手なんて、縦の脚も備えてなきゃ戦えねえって風になって来てるしさ。

競輪って、これからまだまだ変化していくんだろうな。

ところでお前らはさ、近い将来、競輪選手や競走形態はどんな風に進化しているって考える?

あるいはさ、「こんな風に進化してくれたら」みたいな希望でもいいから、ちょっと聞かせろや…

村上選手の優勝に関しては、同級生の活躍なので正直嬉しく思います!
若い頃は負けていられないという気持ちが強過ぎて素直には喜べていなかったかもしれませんが…へへへ。

それにしてもお互い長く選手生活を過ごしてくると、それぞれ怪我に苦しめられたり調子を崩す事が出てきます。
そういう期間を過ごして再び輝きを取り戻すのは大変な事です。

当然、上のステージになればなるほど。
とにかく年齢を言い訳にしないで僕もまだまだ頑張ります!

競走形態についてですが、今後は「250走路ケイリン」も始まる予定です。
業界としては益々と競技性が高い競輪にしていきたいのかな?
と感じさせられます。

その中で生き抜くためには、高いレベルでのスピードと持久力というのは必須だと思います。
横の動きがどんどん制限されたルールの中では縦脚勝負にならざるを得ません。

ですが、他の公営競技の中で唯一、人間と人間がラインという形で協力し合いながら競う人情味溢れるところが競輪の一番の魅力ですから、スピードとパワーだけで競う競輪だけにはなって欲しくないですし、そう思うファンの方が多いと思います。

さて、未来の競輪。
どうなっていくんですかね…

オレも、スピードとパワーだけで競う競技は、もはや競輪じゃなく別のものと思ってるクチなんだけどな…
脚質、能力、頭のレベル…
様々な違いを持った人間同士が、それでもメンバー構成や展開で皆が勝負を競えるってところが競輪の特殊性であるとともに最高におもしれえ部分だったと思うんだ…
 

まずは、寬仁親王杯、同期の村上博幸が優勝したのはとても嬉しかったですし、とてもいい刺激になりました。
心からお祝いしたいと思います。

この先の競輪競走、形態ですが、今のルールを考えると、先頭誘導員のペースがそこそこに上がって、それからの競走になるので、長い距離を高いスピードで走れる選手が有効になってくると思います。

先行選手に限らず、追い込み選手も縦を踏める脚を作っていかないと、どんどんとレベルが上がってきている中で、取り残されていってしまうと思います。(本音を言えば、ハンデが欲しいくらいです、、、笑)

そうならないために、新人、ベテラン問わずトレーニングは勿論、自転車のことも勉強して追求して行かなきゃいけないと思います。
ギヤ規制や誘導員のペース、ルールの改正とまだまだいろいろなことの改革が必要だと思います。

車券を買ってくださるお客様のことを考え、よりわかりやすく、より面白い競輪になっていって欲しいと思います。

オレは、昔の選手で良かったよ。
今の時代にやってたらとてもじゃねえけど…
少なくとも頻繁に麻雀はできなくなるな! 

未来の競輪場は、どんな感じになってるのかなぁ…

わたしの夢は、選手達の走る姿をナマで観るために多くのお客様が老若男女つめかける場所になっていること♥♡♥♡

ゲッハッハッハッハッ
無理だろ…

いや~もう11月!
この世…
じゃなくて、今年の終わりにまたリーチがかかっちまったな。

ところでさ、人生の終わりにそろそろリーチをかけはじめている我々選手OBなんだけど、毎年11月1日は「ピン!ピン!ピン!」の日ってことで自動的に飲み会をやるってことに、いつの日からかなっちゃってんのよ。

んな訳で、今年もまた西武園クラブOB・59期、横山明男がやっている、武蔵関の居酒屋「だるまさん」に行って来たんだ。
(今、本人は仕込みだけで、店は母親に似て男前の息子たちや、突然変異だったのかすっげえ美人に育った娘たちでやってるらしいんだけどさ)

こう言っちゃなんだけど、明男の店は1号店が田無にあるんだけど、知っている人にはメチャクチャ有名で知らないヤツは全く知らないっちゅう世界的にも評価されてる隠れた名店なんだ。

ミシュランなんて所詮は「三つ星」レベルだろ。
けど、こっちは例えA級3班の最終日「チャレンジ一般戦」競走得点60点ってクラスでさえ「七つ星」っちゅう世界なんだから食い物だってレベルが違うのさ。

総入れ歯のジイさんバアさん!
若いにもかかわらず悪いことばっかして同じく歯がボロボロっちゅう兄さんさんねえさんたちよ!
明男の店で白モツ注文してみな!

食えんだよ!
驚くことに!

今月いっぱいだけど、西武園の飯田義広(44期・OB)の紹介で来たって声かけたら料金オール10パーセント増しで大サービスらしいからバカはどんどんレッツゴー!
声さえかけなきゃ正規料金で大丈夫らしいけどさグへへ!

さて、でさ飲み会の方はというとOBと関係者、無関係者、合わせて30人くらい集まってたみたいで誰かが死んでお通夜って時みたく賑やかで楽しかったよ。
ほとんど年寄りゆえ昔話、思い出話に花が咲くでしょ。
そんな訳で、まさにお通夜。

で、お通夜とくりゃ次は葬式。
何気にオレがさ、寬仁牌の時の中川誠一郎(85期・熊本)を話題にしたのよ。
瞬間、大いに盛り下がって今度は一気に葬式だ。

「バカヤロ!あんのヤロ~!
番手回ると言いながら、これから打鐘って時に、並走になっただけで横に触れもしねえで黙って下がって『ハイ!それま~でよ!』だろ…
せめてもう一回追い上げるマネをするなり、捲りに行くふりをするなりなにがしかの演技をしてくれねえと、中川から買った客はみんなただのバカで終わりじゃねえか!」

…ってオレが言ったら、後輩の46期「21世紀のタコ焼き」広田邦靖がさ…

「なに素人みてえなこと言ってんのよ、ろくに風呂にも入らず黒コゲのタコ焼きみてえになってるおっさんが!
マークって宣言しちまった人間が、道中マーク外して、その後、捲りなんぞ打ったら、それこそ競輪の仁義に反するでしょうよ。

んなもん、逃げ屋に対しての裏切り行為以外の何物でもねえ。

捲る脚が残ってんならなんで最後まで競らねえんだ、なんでもう一回追い上げて来ねえんだよってことになるし、自分が捲るチャンス掴むためにオレをペースメーカーとして利用したのかってことになっちまうから、あの時の中川は下げた瞬間、仮に脚が余っていたとしたって、もうああいう形で追走する以外手なんてねえじゃん。
そもそも立ち回る競走が苦手な選手なんだろうしよ。

そもそも選手ならみんなわかってることだべや。
中川が下げた瞬間、ああもう何にもできずこのまんまだなって…

関さんもよ、あんまり客の方を長くやりすぎたんで選手の走り方ってえの忘れちまったんじゃねえの」

そしたら、それを横で聞いてた桜井(久昭/28期・OB)さんが…

「広田!
オレは関の言い分はわかるぞ!
仁義は仁義として、それもオレにはわかるが、やっぱり特別競輪の決勝。
特になんてことのないレースって訳でもないだろう。

理由はどうあれ下げた選手が、だからもう何もできねえ、しちゃいけねえってことには、オレはそもそも反対だ。
もし、まだ脚が残っているのなら、もちろん追い上げるのが理想だが、状況によっては捲りを打つのも良し!

ラインが重いってのは確かにその通り。

だけど勝負の場では、道中例え何があろうと、その段階で己の勝利のための最善手を尽くすべきというのがオレの考え。
そしてそれがお客に対しての責任だとも思うんだ。

ただな、オレももちろんあのレースは見てるが、中川は動ける脚は残ってなかったろうなって風には思ってるんだ。

お客さんには、『競りもしねえで下げたんだから脚なんて完全に残ってるだろう』って見えたかもしれねえが、脚質ってのは上品な言い方するとえらくデリケートなもの。
普段、横はやらねえ、苦手ってタイプのやつにとっちゃ、ただ並走しているってだけでも普段と違う脚を使っちまうし、それで下げて、また態勢立て直す、捲る勢い作るってのはなかなかできるもんじゃねえ。

最初から『逃げる』、『捲る』って構えでタイミング計りながら周回重ねるのと、普段やりなれてねえマークって形で回るのとじゃ脚のロスが微妙に違うんだ。

まっ、お客さんには、横が苦手な先行選手にはそういうこともあるもんだって風に理解をお願いするしかねえんだろうけどな。

とにかく寬仁牌でああいう走りになった中川も、そのあと久留米で完全Vが出来ちゃう中川も、どっちも本当の中川なんだ」

…とまあこんな形で葬式が終わると、今度は焼却場…
じゃなくて火葬場。

今年、後一歩で火葬場まで運ばれそうになった佐藤幸男(28期・OB)さんが突然大声で、

「バカヤロ~桜井!
こういう楽しい酒の場で、そういう面倒くせ~演説垂れてんじゃねえ!

お~い、恩田(繁雄/41期・OB)!
お前も、関や広田と同じヘアスタイルしてるんだから3人でダンゴ三兄弟踊りでもしてもう一回盛り上げろ!

ところで、今日はなんであたりがストリップやりにこねえんだコンチクショ~!!!」…

そ~だ、間違えた!

その後は、火葬場じゃなくて独壇場だったんだ…

おじいちゃんたちの飲み会…
行かなくってホント良かった~♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪

※今回、多少話を盛っております。