53話 清水裕友『新KPK?』

【はじめに】

現在、国内外では新型ウイルス関連による混乱状態が続いています。

一日も早い事態の終息を願っております。

このような状況下でありますが、当ブログは普段通りのスタイルで制作させていただきたいと考えております。

よろしくお願いいたします。

田中誠


あたりです♡♥♡♥

いよいよタイトルホルダーとなった清水裕友(105期・山口)選手と、先日ひとっぷろ浴びてきました=(^.^)=

未来の大スター候補は、未来の競輪プログラム改革(KPK)についても、とてもいいかげんに語ってくれました:;(∩´`∩);

清水裕友 清水裕友

※今回の漫画原稿、実は2月上旬にはほぼ完成させておりまして、その後まさかこのような事態になるとは想像つきませんでした。
現在の状況下ならプログラム改革案というよりウイルス対策案といったオチにする方がしっくりきたかもしれませんね(作者)

全日本選抜は、松浦悠士(98期・広島)のカマシに乗った清水裕友(105期・山口)がG1初優勝。

脚力だけで勝負をする競輪もいいんだけど、鉄砲玉や露払いを演じる選手も混ざって競う競輪がオレはやっぱり楽しめるな。
何よりドラマがあるしさ。

なぜ犠牲的な走りをする選手がいるのかって不思議に感じる競輪初心者もいるかもしれねえけど、理解しちゃえばそこが一番面白えとこだと思うんだ。

前で引っ張るのも、後ろを守るのも最終的には己の明日のため。

今回、お前らには、前で駆けていた頃の思い、マークで走るようになった現在の思いなんかを聞かせてもらおうかな。

白岩大助

今思うと、前を走っていた時の競輪はどちらかというとKEIRINという感覚でした。

それはラインの先頭として走る上で基本的に敵は別線の自力選手。

スピードとパワーと駆け引きによって勝ち負けが決まるレースというのは私にとってそれは競輪よりもKEIRIN

もちろん、後ろの選手への想いを込めながら走るレースもたくさんありましたが、まずは自分がラインの選手達を連れて行くために、そしてラインとして勝つために、そのような想いで走っていました。

しかし追い込みになってからは、それが変わりました。

KEIRINから競輪へ。

より奥が深いものになりました。

自分の勝利の為に走るのは当たり前の事ですが、追い込みになって改めて前を走る選手、そして後ろを固めてくれる選手の事も考えながら走らなくてはならなくなりました。

番手には番手のやるべき仕事、3番手には3番手のやるべき仕事があります。

先頭で走るよりも地味な事もありますが、とても大切な役割分担があるのです。
そしてスピードやパワーに加え、追走の技術も並走のテクニックも要求される奥の深いものになりました。

自身が追い込み選手になってから、ようやく競輪選手になる事が出来たという感じです。

これからも自転車を降りるその日まで競輪選手として走らせて頂きたいと思います。

新井剛央

自力でやっていたときは、同県、他県問わず後ろについてくれた選手には結構覚えていただいてます。
良くも悪くもですが…

前に世話になったからっていうので競走得点がその方よりなくても前を回してもらったりしたことがあります。
責任は重大になりますが、いい緊張感でレースすることが出来ました。

いまは誰かの後ろを回ることがほぼですが、基本的に自分も競走得点だけではなく、ラインを組む子の話を聞いた中で考えるようにしています。
単純に世話になってるからではなく、後輩を育てる意味でも前を回すことによってそのレースに対して何かを学んで次に繋げてもらいたいという気持ちがあるからです。

そんな人情的な部分も競輪の醍醐味だと思います。


中々推理としては難しいと思いますが、競輪の面白さの一つとして楽しんでもらいたいですね。

あたしの競輪初体験は幼稚園のころでした。
でも、ぐーんと興味をもちだしたのは小学生のころ。

父が、
「あたり、競輪ってのはな、学校の運動会みてえなもんなんだぞ!
(かけっこ)とか個人で一等、二等を争うもんもあるけど、最終的には紅組白組どっちが勝つかだろ。
どのクラスが勝つかだったり。
競輪も同じ。

それぞれの選手が仲間を作って、みんなで協力しあって金儲けしようって競技なんだ」

あたし、そ~ゆ~ふうに聞いた瞬間、なぜかドキドキしちゃいました。
クラスのみんなでいろんなことしたりするのが大好きな女の子でしたから♪☆★♬☆★♪

それからというもの、どの選手とどの選手が仲良しなのかみたいなこと、父にさんざん聞きまくりました♪( ´θ`)

http://www.gamble-racer.com/53h-shimizu/

52話 平原康多『3度目の登場ಠ_ಠコ〜タのばか!!!』

みなさま、こんにちは=(^.^)=
あたりです

あたし、今なやんでるの…
タナカセンセェから送られてくるマンガ原稿のこと!

なんなの((((;゚Д゚)))))))
今回のラストのコマ!(◎_◎;)

事務所でジョ~シやド~リョ~たちに原稿データのぞかれ大爆笑されちゃったんだから\\\٩(`^´)۶////
ウソ描くのだけはホントよしてもらいたいです!!!!!!!!

平原康多 平原康多

大宮記念は地元、平原が優勝。
あいつも、これからはますます年齢との戦いってのも出てくるだろうけど、まだまだ地区のリーダーとして頑張ってもらいたいとこだよな。

さて、今回お前らには、改めて、平原って男は埼玉にとってどのような存在かってのを語ってもらいてえんだ。

地区に、長年タイトル戦線を走ってきた人間がいるってのは、他の選手たちへの影響も含めとても大きかったと思うんだ。

と同時に支部長、副支部長として、今後、平原には地区のためにどんな存在になってほしいか、あるいはどんな期待をしたいかを聞かせてくれや。

まずは、平原選手、大宮記念優勝おめでとうございます(祝祝祝!!!)

地元の総大将としてプレッシャーのかかる中これで7度目の大宮記念優勝でした。
本人の実力ももちろん、寒い中本場に足を運んでくださったファンのみなさんのおかげで最高の締めくくりが出来たと思います。
応援してくださった皆さん、ありがとうございました。

どんな存在になってほしいかっていうのは難しいというか、すでに選手の憧れになっていると思うのですが、競輪のトップスター選手としていろいろなところを見られていると思います。
以前本人が話していた、日本選手権で優勝したいという目標を達成出来るようにこれからも努力精進してもらいたいです。
そして、第二の平原康多を育ててもらいたいですね。

平原康多選手は10年以上に渡り埼玉支部をそして競輪界を常にトップとして引っ張って来てくれました。

それは彼の実力はもちろんのこと、ファンの方々から愛されて続け、そして選手からも応援される人柄であると言うことが大きな理由なのではないかと私は思います。

今、埼玉支部では勢いある113期生をはじめ、平原選手の位置へ登りつつある若手選手が多く出て来ました。
そして期待される選手達がまだまだ出てきます。

選手として強くなる事は当たり前の事ですが、愛される選手となるためにそう言う部分も平原選手から学んでもらいたいですね。

そして平原選手にはこれから前を任せられる若手選手を育ててもらいつつ、少しずつ追込み選手へシフトしながらまだまだタイトルを狙ってもらいたいと思います。
1人でずっと引っ張って来たので、これから精神的にも肉体的にも楽になってもらいたいですね!

大宮、西武園で警備などのお仕事なさっている選手OBさまたちの中に、築地孝修(29期)さんという方がいらっしゃいます。

ったく、このオヤジときたら現役時代から酒とバクチばっかやってて、
「ホントにも~、ろくなもんじゃなかった」
そうなんですけど、平原康多選手のお父さま、平原康広(28期・OB)さんと、とても親しかったそうなの♡♥

28期といえば、「世界に誇る騒音機」OB桜井久昭センセェもいっしょの期♥♡

同じくなかよしだったそうです。

でさあ~あ、ツキジのオヤジときたらさぁ~、場で、あたしの姿見かけるたびに、
「おいおい、あたり!オレはな~、コ~タなんてあいつが生まれる前から知ってて、チビの頃はよくオレにまとわりついてきてたんだぞ~グヘヘへへ~」

ど~して生まれる前から知ってたのか、ちょっとよくわかりませんけど、とにかくいつも平原選手の話をうれしそ~にしゃべるの♪()♪

「オヤジが東京登録だったんで、コ~タがデビューする時、東京にさせるかなんて話もあったんだぜ…」

な~んてビックリするお話も聞かせてくれたり(*^ω^*)

平原選手が東京所属だったらどうなってたんだろ…
他にはロクな選手いないし…

やだ~ん、も~:;(∩´`∩);:

とにかく平原選手、おじいちゃん世代の地元OB選手さまたちにとって、とってもカワイイ男の子だったようです♡♥♡♥

親愛なるみなさま〜!

フッヘッヘッ
築地さんか…
このオレが言うのもなんだけど、確かにあの人ろくなもんじゃねえから!

親愛なる皆さんさ、大宮や西武園に来れば本物の築地さんを見物できるから、ぜひ場に足を運んでみてくれや。
話かけりゃ仕事そっちのけでくだらねえ話いっぱい聞かせてくれるはずだからさ。

そうすりゃ、どう、ろくなもんじゃねえのかすぐわかるぜグヒヒ…

現場で職員にでも、築地さんてどの人って聞きゃすぐ教えてもらえるよ。

職員のほうだって、ど~せ築地さんに真面目に仕事してもらいてえなんてカケラも思ってねえだろうからさハッハッハッ

ところで、タナカ!
お前、築地さんがらみでなんか面白い話あるか?

いっぱいあるよ!
でも、築地さんの話はまたいつか…
例によって話が長くなっちゃうし、じいさま世代OBの方達のことを話すとしたら、何よりまず桜井さんのことから話さないとダメだから。
なんでかって言うと、年齢的に自分よりはるか上の世代の人とも面識を持てるようになったきっかけって、やっぱり桜井さんの存在が大きいから。ってなわけで、オレと桜井さんの話をするね。


桜井久昭氏(28期・OB)最初に桜井さんと接点ができたのは25年くらい前かな…
その時たまたま引っ越してきて住んだ家が桜井さん家から徒歩10分くらいのとこだったの。
もちろん、あんなつまんねえ所に大選手の桜井さんが住んでるなんて知るわけないから知った時には驚いたのなんの。
オレ、早速、桜井邸見物に行ったもん。
(すげ~え~!これが、あの桜井久昭選手の家か~)
(口同様に、でけえ家だなあ…)
出走表に載ってる名前と同じ名前の表札に結構感激したの覚えてるよ。

でさ、新しい引っ越し先は、西武園競輪場からもそれほど遠くない場所だったので、西武園クラブの花見や忘年会なんかにもちょこちょこ参加させてもらうようになったんだ。
あと、現役時代の桜井さんが毎年自宅で行なっていた新年会にもお呼ばれするようになってね…
そこで、築地さんとかOBのおっさんたち(当時ね。今は皆じいさん)と親しくなれたりしたのかな。
とにかく桜井さんは明るくって、おしゃべりで、出しゃばりな人だから、頼みもしないのに色んな人たちにオレのことを紹介して話を繋いでくれるんだ。
当時、オレの顔を知ってる選手や関係者なんてほとんどいなかったからね。
(事情を話すと長くなるから、これも省略)

ちなみに、桜井さんとこの新年会は毎年強制出頭。
オレだって、その頃はバリバリの現役でかなり時間に追われる生活してたのに、いつも年賀状で「今年は1月○日にやるから来るように!」
こっちの都合は関係なし…
でも、光栄は光栄だったね。
大選手の桜井さんに呼びつけられるんだもの…

さてと、そいでね、その頃は、桜井さんにとにかく怒られたの。
お前は、あ~だのこ~だの…
人の顔見りゃすぐ説教。
胸ぐらつかまれるなんて、も~しょっちゅう!
(どんなことで怒られてたかは、また次の機会)

でね、これもいつの時だったか覚えてないけど、もちろん桜井さんが現役時代の話ね。
ある日、何かの用事で西武園の道場に顔だしたの。
で、桜井さんもいたんだけど、いきなり…
「バカヤロてめえ!
ボケ~ッと突っ立ってねえで雑巾掛けしろ!」

…えっとさ、西武園の道場って西武園クラブの選手たちが使ってるトレーニングルームみたいな場所なのね。
一方オレは、選手には憧れの気持ちを持っちゃあいたけど、選手でもなんでもないただの漫画家。
すなわち、外部の人間。
もちろん、それまでに何度も西武園クラブの行事には参加させていただいてたけど、当然参加者は、みんな現役選手かOB。
関係者の方が混ざることもあるけど、基本的にはオレだけが外部の人間。
だから、ほとんどの皆さん…
というより、ほぼ百パー、オレに気を使ってくださるの。
よそ様に対するような…

こちらはこちらで、やっぱり遠慮ぎみにしてたところがあって。
同じく、よそ様のお宅にお邪魔してる…
みたいな…
そんなんだから、多少寂しい思いも持ってたのね…
(所詮オレはよそ様…)
なのに、いきなり
「雑巾掛けしろ!」
のセリフ。
(えっ、な、なんで???)
って気持ちと同時に、なんか、も~結構うれしくなっちゃってさ。
(後輩選手たちに対するのと同じように扱ってくれた!)
(仲間みたいに思ってくれてんのかな…!)
なんて…
もちろんオレの方も、桜井さんに対しては同業者ではないんだけど、プロって名のつく商売やってるもの同士ってことで先輩後輩みたいな気持ちにはなってたんだ。

40歳を過ぎた頃には、
(一回り上の桜井さんが現役続けてるうちは、オレもまだまだ大丈夫。順番からいっても先にクビになるのは桜井さん…)
な~んて風に思ったりもしてたし…
(桜井さん、ゴメンチャイ)
そういうメンタル的な部分では、桜井さんが誘導員みたいな存在だったのかな。
後年、桜井さんが引退となった時、周り見わたしゃオレがほぼ現役最年長。
(オレは漫画家で他は競輪選手なんだから当たり前なんだけど)
まさに先頭交代で、風がいきなりビュービューと思い切り身体中に吹き付けてきたように感じたね…
(やべえ、順番からいって次はオレだ…)

話が長くなっちゃったから思いっきり省略するけど、もう14~15年前になるのかな、色々あって『ギャンブルレーサー 』やめちゃおって決断した時のこと。
競輪もやめちゃおうかなって悩んでいた時期でもあったので、オレとしちゃ、ちょっと深刻な口調で桜井さんに話したの…
「もう、連載やめちゃうんで…
西武園クラブにも色々お世話になりましたけど…」
そしたらさ、
「そうか…
だったら今度はOBとして出入りしろ!」
(えっ⁉︎
(えっ⁉︎
(えっ~…⁉︎
(オ、OB~~~…⁉︎
(ひょ、ひょっとしてオレを西武園クラブの選手たちと同じように思ってくれてたの~~~……⁉︎
も~さ、オレにとっちゃ一生忘れられない言葉だったね…
こんな感激ないってえの!

選手でもなんでもない、このオレがさ…
本当に嬉しかったし、なんか報われた気もしたんだ。
競輪を一所懸命描いてきたってことに対して…
夜、一人でこっそり泣きました…(ウソ)
…まっ、とにかくさ、
「雑巾掛けしろ!」
「OBとして出入りしろ!」
この二つの言葉のおかげで、その後は現役の選手はもちろん、選手OBの皆さんとも本当の意味で親しく言葉をかわせるようになったと思ってんだ。
と同時にさ、その後けっこうな期間、競輪と離れていたオレなんだけど、この言葉のおかげで「ご縁の糸」が完全に切れず、またこうして競輪の世界でお世話になれてるのかなとも思えちゃうんだよね。
(桜井さん、どうもありがとう!)

ちなみに、桜井さんの近所には四年くらい住んでたんだけど、しょっちゅう怒られるのがうっとおしくて、また引っ越して逃げちゃった。
でもさ、今はまた、しょっちゅうオレん家に酒飲みに来て相変わらず怒るの。
「お前ってやつは…!!!」
あ~だの、こ~だの、ブ~スカ、ブ~スカ……
オレも、もういい歳なんだからたまには褒めてもらいたいっすよ…
ったく…
今度会ったらさ、
「タナカ!お前は偉い!」
って、一度くれえ言ってみろってえの…!

しかし、お前の話も本当に長いなあ…
途中で寝ちまったよ…

タナカセンセェさあ…
「築地さんたちOBの方と知り合えたきっかけは、桜井さんが紹介してくれたから!」
この一言だけで、話済みません?
あたしもいっしょに寝ちゃったよ…
ふう…

はい!
というわけで、今回もブログ全体にわたってフェイクがちりばめられておりますことをオワビしておしまいにしまーす♡♥♡♥
アーメン♪( ´θ`)ノ