117話 太田真一『不滅の大偉業!』

あ~、きょ~もアツいですね~!
こんなアホみたいな日に、太田龍希せんしゅ(117期・埼玉)のオト~さまが練習をなさってました。
ものずきだなあ~と思いつつ、休憩中に直撃してまいりました!

太田真一太田真一

西武園OB 関優勝(37期)

埼玉躍進の功労者

埼玉は、小池和博さん(30期・OB)、新井正昭さん(31期・OB)の時代の後、タイトル戦線では しばらく大人しかったけど、一気に活気づけたのが太田の登場だったよな。

宮杯で特別初V決めたその年、GPで初出場V。
しかも逃げ切り勝ち…!

埼玉の選手達に与えた影響はでかかったと思うぜ。

タイトルなんて よその世界の話みてえになってたところに、いきなり身近で手にするやつが出現したんだ。
そりゃも~、勇気も元気も増したろうさ。

タイトルが非現実的なものから現実的なものにガラリと変わったんだから。

それが、また平原康多(87期・OB)って超大物の誕生に繋がっていったとオレは思うんだ。

でも太田は見事な出世ぶりだったよ。
中学だか高校の頃から、もう業界で名前広がってたもんな。

「埼玉に、スゲ~子がいる!」

って。

鳴り物入りで競輪学校入って、新人王…
23~24歳でタイトル取って、GP取って…

なんか、神山雄一郎(61期・OB)に近いもんもあるよな…
その後は別として…(笑)

さて、歳を重ねた今は今で、まもなく50歳。
鉄人の領域入りだ。

前回の神田同様、1分1秒でも長い現役生活を勤め上げて欲しいな。

そしたら、人生でも逃げ切り勝ちだろ、ハッハッハッ!

 

新井剛央

現在も元気一杯

太田真一さんは、皆さんご存知だと思いますが、平成11年の高松宮記念杯競輪と平成15年の寛仁親王牌優勝、そしてなんと言っても平成11年競輪グランプリ覇者です。

グランプリでの先行逃げ切りは圧巻でしたね。
レースを見てて鳥肌が立ちました。

最近では、息子の龍希(117期)もデビューしてさらに気持ちも入っていると思います。

後進の指導にも積極的で、川越工業高校自転車部の外部コーチをしながら、休日には競輪場で高校生やアマチュアの指導を行っていて、とても忙しい日々を送っていらっしゃると思います。

そんな日々の中、自身のレースもあって、中々成績も波がある状況ですが、往年の足を磨いてまだまだ頑張っていただきたいですね。

 

白岩大助

目標とした偉大な先輩

副支部長が競輪での栄光について既に記述してくれておりますが、太田さんは自転車競技においても1999年にはワールドカップにて日本人としてケイリン種目初優勝、そして翌2000年のシドニーオリンピックに出場するなど国内外で活躍した素晴らしい選手です。

今はKEIRIN.jpのプロフィール欄から無くなってしまいましたが、目標とする選手という欄に私は『太田真一』と書かせて頂いていたほど憧れていました。

高校生を指導する立場になるにあたり日本スポーツ協会の『公認コーチ』という資格を取得されていますが、私も同じタイミングで受講させてもらいました。

実技の試験が合宿形式であったのですが最終日に行われる試験前も同部屋の私や他の受講者は焦って勉強しているにも関わらず太田さんはとても余裕を持っていて私たちを茶化していた事が印象的です。

ひとまず一緒に受講したメンバーは皆んな合格したので良かったです笑。

最初は言葉も交わせず…

他に私のエピソードとして是非ご紹介したい事があります。

私のデビューした頃の太田さんは凄く怖い印象があり、初めてお会いした頃などあまり話をしてもらえなかったのですが、私の師匠の越川一寿さんが太田さんと同級生でアマチュアの頃から仲が良かったという縁もあり、それを知った太田さんに次お会いした時には

『コッシーの弟子ってお前か!笑』

という感じでとてもフランクに話をしてもらえるようになりました。

憧れの太田さんと打ち解ける事が出来て、越川さんの弟子で良かったと感謝した記憶があります。

 

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116話 神田宏行『感謝を込めて』

さあ~、電気代におびえる夏ホンバンとなりました。
体調〜に気をつけながら、今年も節約にいそしみます。
アレ?
なのに神田せんしゅは、なぜか すずしそ~な顔してるよ~な…???

神田宏行

西武園OB 関優勝(37期)

鉄人!

ハッハッハッ、節約と食いだめか…!

そういや、今は選手宿舎じゃ酒がダメのままって話だし、それだと飲んべえの選手は酒代も節約できて、まさに家計に優しい商売って言えるわな。

さて、そういう恵まれまくってる競輪選手を、神田も もう37年続けて来てるわけか…

恵まれた商売だけに誰しもその身分を簡単には手放したくはねえ。
当然、生存競争も厳しくなる。

けど、長きに渡ってその競争に打ち勝ってきてんだもんな。
お世辞抜きに立派だと思うぜ。

選手を20年続けた段階で、もう勲章もんだとオレは思ってんだ。
んで、50歳過ぎた選手は全員「鉄人」の称号を与えてもいいって思っててよ…

尊敬すべき存在

それだけの期間、精進を重ね続けてこれた肉体と精神力。

客どもに改めて言っておきてえんだけど、こういう選手に対してもう少し尊敬の念を持ってレースを眺めてもらいてえって思うんだ。

業界に、金貢ぐのだけが客の役割じゃねえんだぜ。

このジイさま選手は、これまでどんな困難、苦労と戦いながら現役を維持してきたのか?

こういう事を想像しながら競走を眺めるのもいいもんだと思うぜ。

車券は若い選手から買ってたとしてもさ(笑)

最後になるけど、神田!
鉄人ロードを1分1秒でも長く続けてくれよ!

あたしも、50歳すぎてる選手のみなさんたちにはスゴイなって、いつも感じちゃってるなあ…

反面、若い選手より、やさしいふんいきもでてきているような気もするの
そ~ゆ~とこって、ベテラン選手のすご~く魅力的なとこなんですよね♡

 

新井剛央

まだまだ元気一杯です!

神田さんは、自分とグループは違うのですが、同じ街道(東北道の側道)でよく練習されてたので、自分もたまにですが、お世話になることもありました。

バンクではほとんど見かけることはありませんが、街道の先頭交代の練習は鬼の様に強いです。
どんどんと上がっていく感じですね。

自分は先頭交代があまり好きではないのでヒーヒーいってました笑

話は変わりますが、以前は訓練指導員として大宮競輪場でバイク誘導もやってくださいました。
幹事の役目とはいえ、暑い日も寒い日も引っ張っていただきとても感謝しています。

先日、高橋京治さん(51期、61歳)が現役生活を終えられました。

埼玉での次点は神田さんになりますので、是非京治さんに追いつけ追い越せでこれからも頑張っていただきたいです。

 

白岩大助

会員、皆 大感謝!

神田さんは副支部長の言うように、埼玉では昔から『地脚の神田』と言われるほどの持久力の高い走りが有名でした。

1997年にはチームパーシュート(4km団体追い抜き)という種目で全プロ自転車競技大会を優勝された経歴もあります。

一昨年までは埼玉支部の訓練指導員を務めて頂き支部運営も支えて頂きました。

訓練指導員はバンクでバイク誘導を行うことがあるのですが、バイクの免許を持っていなかった神田さんはこの役職に就くにあたり大型免許まで取得、さらに自身でもハーレー・ダビッドソンを購入されバイクを趣味にされました。

なかなかそのような人はいないと思います!

今や埼玉支部の最年長選手となりました。
まだまだ現役として共に埼玉支部を盛り上げて頂ければと思います!

 

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