SR80話B面『デビュー前・デビュー後』

本日のざれごと

新人選手のデビューのたびに、なぜかふくざつな心境にもなってしまうあたしです。
はあ~~
も~少し、時間のながれがゆるやかになってくれるとい~んですけどね…(笑)
ところで、センセェ。
センセェは、新人時代って、どんなだったの?

たぶん大変だったんだろうけど、無我夢中であっという間に過ぎていったって感じかも…

あ~、だったら あたしも同じかな
毎日毎日、飲み会にひっぱりだされてセクハラのオンパレード…
ってのはウソですけどね
アッハッハッ

男の場合、そういうのは無いけど、でもすべてが一変したって感覚はあったね

まず最初に

オレは1988年にマンガ家デビューできたんだけど、前年まではオケラ、オケラ、またオケラ…の人生(笑)

バイト代や貯金を原資に競輪通って、最終的にはパーって日々で、いよいよお金が底をついて再びバイトって時にデビューできちゃったの(笑)

今は笑って話せるけど、当時は本当笑い事じゃないってレベルだったんだから(笑)
自己責任とはいえ…(笑)

でさ、原稿料が入って まずやったことって何だと思う?

お肉屋行ってコロッケを5~6個買ったのかな…
そんで自販機でタバコを買って

(あ~、オレもこれで食い物でもタバコでも好きな時にいつでも買えるんだなあ…)

って感激したの。
(※実際には、この段階で、その保証はまだなかったんだけどね笑)

なにしろ それまでって、とにかく金の工面に苦労してたでしょ。
競輪場でも、食い物はほとんどガマンしてたし、タバコもよくシケモク吸ってたから…

仮に車券で儲けが出た場合でも、翌日の資金としてストックしとかにゃならんかったしさ…

まあ、それでも その頃はまだ実家に居候してたんで、本当の意味で苦労してたってわけではないんだけど、やっぱりそりゃあね…

そういや、同居の祖母に、もらいタバコもよくしてたっけ…(笑)

なもんだから、コロッケとタバコは今でも覚えてるの。

一夜にして

すべてが一変したって言ったけど、そりゃも~本当に笑えるくらいに変わったかな。

たぶん、21歳くらいだったかな?
その頃にマンガ家目指し始め、学校卒業後バイト生活を開始。
その後、24歳で1回挫折して就職。

でも1年足らずでやめちゃって、マンガ再チャレンジ。
27歳の時 奇跡が起きてデビュー。

で、デビューできるまでの話なんだけど、例えば「マンガ家目指してる」って友人やバイト先の人に話するとするじゃん。
最初の頃はまだ良かったのよ。

「へえ~、がんばれよ」

ってな反応くれたから。
本音はわからんけど。
あと、親は別として…

でもさ、結果の出ない日々がどんどん続くでしょ。
反応がどんどん変わっていくの。

「いつまで、そんな事やってんの」
「いい歳して…」

さらに変化していって

「バカじゃねえの!なれるわけねえじゃん」
「真面目に働きな!」

終いにゃ

「クズ!」

どんどん人から相手にされなくなっていって、例えば挫折時の就職の面接でもニヤニヤされ小馬鹿にされてるような感じだったもん。
負け犬根性で一杯だったってのもあんだろうけどね(笑)

あと、親族からの圧力も相当なものになってたなあ…

それに加えて、あろうことか、競輪まで始めちゃってたでしょ(笑)

ゆえにデビュー直前の頃には、親しい友人、知人は ほぼ無し。
親族にもまったく相手にされずってくらいになっちゃって…

けどさ、作品が雑誌に載った瞬間、またまた思い切り変化!

誰にも相手にされなくなってたはずなのに、称賛の電話が複数かかってきたりとかさ…

「いやあ~、大したもんだ!」
「キミは必ずこうなると思ってたよ!」
「ものすごい才能だね!」

ちなみに家族、親族には、新人賞で賞金もらったことは話したけど、雑誌掲載のことは秘密に。
当時、競輪やってる事がバレたら大変だったから(笑)

競輪の社会的イメージが、まだまだ低かった頃だし…

もちろん、マンガが掲載されていることはタレコミが入って すぐバレちゃったけど、内容が競輪って事に関しては編集部の企画って風に、それから10年くらい言い張ったね(笑)

【※ある日の母親との会話】

※母親
「弁護士やってる知り合いからこう言われたんだけどさ…
『おたくの息子さん、気をつけたほうがいいよ。
アレ、昨日今日 競輪始めたような人間に描けるようなものじゃないから』
って…」

※オレ
「競輪なんてやったことねえけど、編集長から命令されたって言ってんだろ!
あかの他人と息子の言うこと、どっち信用すんだよ!」

キリスト教徒は大変なのよ(笑)

(※補足)
オレ、デビュー時って、ウソいつわり無く昨日今日始めたようなレベルで描いてたのね。
だから、その点は弁護士さんの見立てハズレだったね。
競輪場通い出したのは1985年からだもん。
真面目には通ってたけど…♡

人間から商品へ

あとさ、こういうのもすごい変化に感じたな。

面接の時の話をしたけど、デビュー前は、例えば背広にネクタイ締めているような年長の方たちには小馬鹿にされてる感覚があったって言ったでしょ。

けどさ、デビューすると、どうしたってそういった方々と接する機会は増えるじゃん。
でさ、そういった方たちが次々と名刺を差し出して頭を下げてくるんだよね。

そりゃビジネスの場だから当たり前っていや当たり前なんだけど、やっぱり最初はとまどったよね。

でも、これだけはすぐ自覚できたかな。

(これはオレって人間に対して頭下げてるんじゃなくて商品としてのオレにだから勘違いしないようにしなきゃ…)

って。

その時は、たまたま商品として成立したからいいけど、そうじゃなかったら間違いなくデビュー前の反応が繰り返されてたはずだからね。

で、これは晩年になって改めて芽生えた考え方。

(プロってのはあくまでも商品、商品だから成績によって扱いがガラリと変わるのは当然)
(まず、情や礼儀を持って扱って欲しいみたいな気持ちを持ったら傷つくだけ)

って。

そういうのを求めていいのは引退後って風に…

というわけで、最後は話が少々ズレちゃったけど、プロ経験できて本当に良かったなって、今思うね。

一夜にして周りがガラリと変わる感覚なんて、なかなか体験できないと思うしさ…

う~ん…
あたしたち社会人もある意味プロのわくぐみの中に入ると思うんだけど、やっぱり まずはひとりの人間としてあつかってほしいって思うけどなあ…

あ~、なるほど…
そりゃまあ、そうかもね
んじゃあさ、オレが言ってたプロは、自分を商品として商売する形式のってことにしとくね

ということはケ~リンせんしゅは…

だから、ボロクソに言われたりもするし、成績如何で扱いも待遇も変わったりするわけじゃん
20代前半で億稼いじゃうことだって可能なんだから、一般的な職業と同じではないよね

センセェもボロクソに言われたりすること あったの?

い~や、ぜんぜん…
残念ながら、そこまでメジャーな作家になれなかったもん
「あ~、くやし~!」笑

【特別記事】

5月30日、長年にわたり競輪界トップ選手として活躍した87期・平原康多選手が引退をなされました。
いまはただ、「おつかれさまでした」という言葉しかありません。
そして
「ありがとうございました」

 

というわけで、タナカセンセェからも一言…

あたりちゃんと同じ
「おつかれさまでした」
だね

と言いつつさ、とてつもなく大きな存在に突然去っていかれるのって、ファンにとっては、やっぱり衝撃はでかいよね
でも、ご本人が長い間 悩み苦しんだ末の決断とのこと
ここは、ただただ拍手で送ってあげるだけだね…

それにしても、競輪ファン、競輪選手、地元地区に 残してくれた功績は特大!
改めて、感謝、感謝!

【9R優秀】
①皿屋  豊 (三重) 111期・S1 ④
②松浦 悠士 (広島) 98期・S1 ⑥
③小原 太樹 (神奈) 95期・S1 ❶ 差し
④渡部 幸訓 (福島) 89期・S1 ❷ 差し
⑤中野 慎詞 (岩手) 121期・S2 ③
⑥笠松 信幸 (愛知) 84期・S1 ⑧
⑦平原 康多 (埼玉) 87期・SS ⑤
⑧吉澤 純平 (茨城) 101期・S1 ⑦ B
⑨太田 海也 (岡山) 121期・S2 ⑨ H

 

というわけで今回はおしまいです!
「でわ!」

SR79話B面『西武園・5月の風と香り』

本日のざれごと

A面では、タナカセンセェん家からも近い北山公園について少々おしゃべりしましたが、今の時期の西武園周辺ってホントにい~ですよね。
タナカセンセェも今の季節、楽しんでる~?

もちろん!
オレも5月が1番好きな季節だからね

今日も自宅のベランダで、爽やかな風を楽しんでるけど、こうしているとさ 何故か思い出しちゃうことがあるんだよね

へえ~、なになに?

かなり古い話なんで、かなりの部分は記憶があいまいなんだけど、それでも毎年この時期になると ふと頭に浮かんできちゃうんだ…

ひょっとして、今くらいの季節に超~大穴でもとったことがあるとか?

逆のパターンなら季節限定せずにいくらでもあるんだけどね…(笑)

とにかく眠くって…

というわけで、ほんじゃ今回は その話ね。

それほどごたいそうな話ではないんだけどさ。

それは、現在の競輪場になる前、500走路時代の西武園での話…

たぶんマンガ家になって2~3年の頃かな?
だから、35年くらい前。

まさに、今くらいの時期に何かの用事で西武園に来たの。
客としてではなく。

当時は、日々忙しくて、そういう余裕は もうまったく無くなってたから。

おそらく業界紙の人とかと会う話にでもなってたんだろうね。

でね、記者室かなんかにしばらく居たんだろうけど、オレはかなり疲れていて、しかも眠くて眠くて仕方なかったの。

なので、ちょっと中座させてもらって駐車場へ行ったんだ。
自分の車で来てたんで、こっそり昼寝させてもらおうと思って。

当時の施設の位置関係を正確にはもう覚えてないんだけど、たしか関係者駐車場は記者室の有るホーム側建物の4角側すぐ横、走路にも近いところにあったような気がすんの。

なので

「何レースか、スタンドで生で観てきます」

みたいな言い訳して出ていったのかな。

でさ、その日は本当に穏やかな青空で、風も最高に気持ちが良くてね。
車の扉を全部開けて、しばらく寝っ転がってたの。

蛇足だけど、関係者側の駐車場でしょ、変な心配もいらないのよ。
当時はさ、どんな開催でも超満員、悪い人たちもそれなりにいるって時代だったから(笑)

最高のBGM

さて、本当に気持ちよく寝てたんだけど、そこでつまんないことに何故か感動できちゃったんだよね。

今 話したように超満員時代でしょ、レースが始まると流れてくるお客の大歓声で、何となくレースの流れがわかるのよ。

(あ~、今、並びが落ち着いたな…)
(ん、競ってるな…)
(お~、本線が飛んだかな…)

みたいな感じで…

車の中で目を閉じてるんだけど、耳に入ってくる音声だけでレース内容がかなり想像ついちゃうわけ。

で、決定放送とかで正確な結果もわかるでしょ…

そんな感じで数レース楽しんで記者室戻ったのかな。

新緑の季節の西武園、風も新緑の香りもとっても気持ちが良かったのと相まって、あの時の歓声や音がいまだに記憶の片隅に残ってるって話。

オケラ時のオアシス

そうそう、あとさ、西武園で寝転がってたって記憶はもうひとつ。

こっちは、マンガ家になれる前、客として通っていた頃の話。

500バンク時代は、現在とはホームとバックの位置が反対だったんだけど、そのバック側のスタンドは土地の傾斜を利用して作られていたような感じだったのね。

んで、最上部の両サイドは土の地べただったような気もすんの。

あくまでもオレの記憶なので、正確か否かはわからないけど。

そいでさ、そのスタンド上部のたぶん3角側、そこに背もたれ無しのベンチがズラっと並んでいて、その上が藤棚みたいなものだったのかな?

やっぱり、今みたいな時期だと、そこってすっごく気持ちが良くてね…

なので、よくそこで寝転がったりしてたの。

もちろん、そういう時ってほとんどが最終レースを前にして資金が尽きたって時だけど…

あっ、いけね!

「よく寝転がってた」

って、セリフは撤回しとこ(笑)

とにかく、今の時期、そしてあの頃の西武園は、オレにとって最高に居心地のいい場所だったってこと。

最後になるけど、今の競輪場って聞こえてくる鐘の音は同じだけど、大歓声ってのは失われちゃったでしょ。
ちょい寂しいね…

 

ほのぼのとした思い出…
って言ってい~のかど~かわからないけど、なるほど、そ~ゆ~エピソードがあったってわけね(笑)

もちろん今の西武園だって寝転がれる場所が無いわけじゃないけど、この歳じゃさすがにさ…(笑)

あとさ、繰り返しになるけど、今、なによりも懐かしく感じているのが、あの時代の大歓声…
ああいう大歓声の中で時を過ごせた選手や、我々お客は幸せだったんだね…
当時はカケラもそんなふうに思ったことなかったけど…(笑)

じゃ、どんなふ~に思ってたの?

「定職もなく、競輪場に日々通ってるオレって、まさに人生の落伍者だなあ…」
って…(笑)

あっ、そっ…(笑)

ハイ!
とゆ~わけで、今回はおしまいです。
「でわ!」」