番外編14『ドッスン!バッコン!コロコロりん!』

ハイ!
とゆ~わけで、ひさしぶりに番外編のお届けです
(ω╹๑ )

タナカセンセェが過去に描いたヘンチクリンなもののご紹介です。
ちなみにお描きになった記憶はきれ~に消滅なさってたとのこと。
認知症がホントに心配です。
では、ど~ぞ…

【生きるか死ぬか!昭和のマーク屋】

※『セカンドレーサー』46話「2014!大当たりの師走」より

ど~して、こんなふ~に描くの!

タナカセンセェさあ…

こ~ゆ~ことばっか描いてたから、だれにも相手にされなくなったんじゃないの?

マークせんしゅのアタマの中は、

「落とす!」
「落とされないようにする!」

のふたつだけ⁉︎

「ど~して、そうウソばっかりつくの!」

す、すいません。
でも取材元の関さんに言われたことを、ただそのまま描いただけで…

おいおい小田原のオタフク、そ~わめくな!
タナカなんて所詮はシロ~トのただの客じゃねえか。

たしかに頭の中には、その二つ以外にも帰りにどこで一杯やるかとか色々あったよ。
けどタナカの表現だってあながち的外れってもんでもねえんだぜ。

関のざれごと

位置取りこそが命の時代

当時のマーク屋にとっちゃ、どの位置をまわるかってのはまさに最重要事項。
一番強い先行屋の後ろをまわるってのが最大の目標だったんだ。

で、そのポジションを奪い合うための方法が競り合いであり、マンガでは触れられてなかったけど、もう一つが脚比べ。

例えば、番手まわってる方が直線勝負で3番手まわりに外から交わされるなんてのが2度、3度と続いたら番手は交代。
ただしインからでなく、あくまでも外からな。

それから競りに関しても、ただやみくもに勝ちゃいいってもんでもねえ。

格下、あるいは挑戦者側が競りかけに行くのはあくまでもアウト側から。
イン粘り、イン競りでくるなんてのは仁義違反。

もちろん先行屋とかがイン粘りなんてのは問題ねえよ。
レースが進んで、別線のマーク屋が切り替えての飛びつきやイン競り、イン突ききってのも。

外からってのは、あくまでも同じ位置、狙った目標(先行屋)を取り合う時のマーク屋同士の話だからよ。

負けたら終わり

あっ、そうそう。
それでも、たとえゴール前であろうが何だろうが、道中、目標にした先行屋のインを突いたり、そいつをどつく、どかしに行くってのはやっぱり外道な行為と呼ばれてたな。
勢いでやっちゃうのはあったけど、基本的にはご法度。
別線の先行屋だったら関係ねえけどさ。

さて、次は本題の「落とす!」「落とされる!」って方の話にいくぜ。
それはもう

「やられたらやり返す!」
「舐められたら終わり!」

っちゅうことよ。
簡単な話が。

位置の取り合いってのは言うなれば縄張り争いみてえなもん。
そこで商売続けたいと思ったら絶対負けるわけにいかないケンカなんだ。

番手まわりを続けるためには。

おのれか相手のどちらかが先に諦めるまで延々と…

格の重みは薄れちゃった

いつの頃からかラインってのは「地区でまわる」的なものになっちゃったけど、オレがまだ、特に新人だった頃は「格でまわる」だったんだ。

「1班のケツは1班!」

例えば北海道の1班の先行屋の後ろに九州の1班マーク屋がつける。
で、北海道の2班マーク屋がもしその位置欲しけりゃ外から番手競りに行く…

手っ取り早くいうなら、こんな感じかな。
もっとも2班が1班に競りに行くなんて恐れ多いとも言われてたから、競りってのは同格同士が基本だったけどさ。

今は1班も2班もある意味普通に戦ってるし、お客もさほど班の違いを気にしないようになったけど、昔は…
特に最高位がA1だった頃のA1とA2の身分の差なんて、そりゃ~も~…

まさに神様と人間!

1班で本線の番手まわり、これこそが昔のマーク屋が目指した究極の道よ。
グヘヘへへ

えっ、先行屋の昔と今?

ヘッ、あんなヤツらは昔も今も変わらんさ!

前の日の晩に腹一杯メシ食って、次の日、精一杯駆けるだけ。
実に幸せな連中さハッハッハッ!

センセェって、お世話になった人たちとかに感謝するってきもちがぜんぜんないんだね!

ふん、イソギンチャクの小便女が…

オレだって先行でずっと行けたらどんなに幸せだったか…

番外編13『2021年ごあいさつ』

な、なんなの新年早々、このイラスト…
まさか、これ…
あ、あたし…???

バ、バカヤロ、なんでオレが細菌なんだよ!
ワクチンだろ、ワクチン!

これ、どう見ても細菌さんに中割り決められちゃってるよな…
縁起わる…

副支部長のガードが破られそうなんて…
世界平和のためにも自分が逃げ切るしかないか…

親愛なる皆さま方さ、性懲りも無く年がまたあけちゃったね。

「とりあえずおめでとさん!」

今年は、社会の色々な状況が好転してくれるといいんだけどな…

去年なんて世界的行事の西武園70周年記念やローカルイベントのオリンピック、田無の居酒屋『だるまさん』での飲み会とかも飛んじまって本当散々な年だったもん…

「おう、神様よ!
もういい加減弱いものいじめはやめて、おとといのGPで大金せしめたヤツとかそういう輩たちにこそさらなる試練を与え、オレやこのブログ見てるまともな人種たちにはそろそろいい思いもさせてくれよ!」

頭きたから皆々様の分まで神頼みしといてやったから今年もせいぜいよろしくな!

さて、ほんじゃオレに続いて、おい!
支部長、副支部長!
新年の挨拶!

おう、新井!
年の順で、お前から行け!

新井剛央

は、はい、わかりました!
では、私から行かせていただきます。

埼玉支部一同、今年もがんばります

「競輪ファンの皆様、新年あけましておめでとうございます!
本年もどうぞよろしくお願いいたします!」

11月に落車をしてしまってまだ復帰をしていないのですが、新年も明けましたし、また新たな気持ちで新しい期を少しでも上を目指して頑張りたいと思います。

さて、114日から17日まで一年に一度の大宮記念が控えております。

新型コロナウイルスの影響でファンサービスなどはいろいろと制限されてしまうと思われます。
しかしその分、平原康多(87期•埼玉)を始めとする出場予定の埼玉の各選手、同じく出場予定の埼玉支部支部長、白岩大助も平素にも増して気合を入れ、是非ともお客様に喜んでいただけるレースをお見せできればと意気込みを見せています。

感染対策をしっかりとしていただいて、本場、各場外車券売場、インターネット等で楽しんでいただけたらと思います。
改めてとなりますが、本年も競輪をそして埼玉支部をどうぞ宜しくお願いいたします。

白岩大助

皆さま、新年明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。

昨年7月より白岩支部長、新井副支部長、そして新たなメンバーも加わり支部の2期目の運営を務めさせて頂いております。本年も益々盛り上がるように埼玉支部をまとめて行きたいと思います。

大きな課題に向けて

2020年はコロナウイルスにより大変な世の中になってしまいました。
競輪界も例外なく4.5月は全国的にほぼ開催中止となり大きな不安に襲われました。

しかし結果的に競輪など公営競技界にとっては世の中の自粛ムードが売上増加となり強い追い風となりました。
反面、ネットや電話投票の増加にともない本場への来場者は激減。
感染対策ということではお客様の為にもなりますが、来場者を相手に商売をされる売店さんや予想屋さん、予想紙を発行する新聞社さんにとっては死活問題です。

これは大宮、西武園のみならず全国的な問題です。

選手や関係者だけではなく競輪に携わる皆さんにとって恩恵が預かれるように対策を考えなくてはなりません。
ウイルス問題への課題は難しいと思いますが業界全体で乗り越えて行きたいと思います。

●現役生活一番の想いを込めて走りたい

さて114~17日までの大宮記念に、今年は参加選手として出場させて頂けることになりました。
運営側としてここ2年間携わらせて頂きましたが、結構忙しいです。
今回は副支部長をはじめ他の幹事のバックアップに甘えさせて頂きました。

運営側として大宮、西武園の地元記念開催を一歩引いた位置で見ていましたが、やはり1人でも多くの埼玉支部の選手が勝ち上がって、そして優勝を守り抜く。
それが一番盛り上がります。

特に大宮競輪場では数十年間にわたってG1が行われておらずG3と言えども記念は大宮競輪場の最高峰の舞台です。

おそらく埼玉支部の全ての選手に出場したい想いがあると思います。
正直今回の大宮記念も埼玉支部として、そうそうたるメンバーが揃っている中で力が劣っている事は自分が一番分かっています。

この記事を書かせて頂いている今、大宮記念までは残り1ヶ月を切っています。
全国には自らの走りで支部をそして競輪を盛り上げる支部長が多くいます。

私もそういう支部長になれるように、そして今回の大宮記念は私にとって21年の現役生活の中で一番の想いを込めて臨みます。

走らせてもらえる周りの方々への感謝と、ひとりの現役選手として自分の為にも、悔いない良い走りをしたいと思います。

コロナ対策として人数制限はありますが、ぜひ114~17日の大宮記念へは多くのお客様の御来場をお待ちしております!

みなさま、新年あけましておめでとうございます。

昨年は、世界中の人々が大変なおもいをしたであろう一年でした。
でも、困難のあとにはまたステキなことが起こると信じて、気持ちを新たに笑顔で今年一年のスタートを切りたいとおもいます。

今年も、どうぞよろしくお願いいたします。

番外編12 『せんしゅがわが家にやってきた』

さあ、みなさま、ジゴクがやってまいりました!
タナカセンセェがこれよりおしゃべりを開始いたします!
てみじかにど~ぞ…

ハイハイわかりましたよ!

じゃ、始めるね…

8月の終わりに、内藤高裕くん(96期/東京)、飯田よしのちやん(106期/東京)、矢野光世ちゃん(104期/福岡)の三名がオレん家に遊びに来てくれたの。

内藤くんとよしのちゃんは西武園クラブ、テルちゃん(矢野)はよしのちゃんとお友達って関係。

テルちゃんが競輪マニアとのことで、ゆえにあんなマンガ描いてた輩の親の顔…
じゃなくて、オレの顔を見たかったってのがどうやら訪問理由。

内藤くんは彼女たちのアッシー。
(アッシーって言葉は今でも一応通用するらしい)

仮にもS級の追い込み選手がバンクの外とはいえガールズ選手の足場を務めるなんて、なんと素敵?な時代になったもんだと感心しながら迎え入れたよ。

マリア様のようなよしのちゃん?

さてこの訪問、突然は突然だったので結構驚いたけどオレはすごく嬉しかったの。

地元の内藤くんやよしのちゃんはもちろん初めてって訳ではないんだけど、現在のこのウイルス禍。

去年までは何度となく開いていた我が家での飲み会も今年はゼロ。

そうでなくてもこっちは普段、ほとんど引きこもり生活って人間。

人様と直接言葉交わす機会なんて滅多にないからね。
本当にさ…(電話だと一回平均10時間はおしゃべりしてたけど…)

それはさておき、今回ちょっと感激したのは、よしのちゃんにあまりいじめ?られなかったこと!

変なこと言うようだけど、彼女にはいつも説教ばっかされる身の上だったんでさ…

オレのの顔見りゃ

「じれったい!」

「くどい!」

「いつもネガテイブ!」

こっちが反撃しようと口を開くと

「長い!」

まだ、何にも喋ってないのに…

ってなわけでオレは普段同様よしのちゃんには警戒してたんだけど今回はなんと、そういうお言葉は無し。

どころか、オレに発言の機会まで与えてくれたんだぜ。

も~ビックリしたな~…!

(いつからこんなマリア様のように慈悲深くなったんだろう?)

それともこれから地球で何かが起こる前兆なのかな?

起こるよ!
世界平和の願掛けしといたから。

ところでこの日、もう一つのビックリが…
というか、面白い発見があったので紹介するね。

それはテルちゃんの顔!

似顔絵描いて欲しいって頼まれたのでちょっと困ったけど引き受けたの。
(オレの場合、画力とセンスにに色々問題あるんでさ…)

で、至近距離でしばらくお顔を観察…

「ん…?」

「な、なに、この子の顔⁉︎

神をも恐れぬ?テルちゃんの顔

普通に間をあけておしゃべりしてる時ははちっとも気づかなかったんだけど、至近距離で眺めるお目目はちょっぴりタレ目のとんでもなくかわい子ちゃん系!

お鼻はお鼻で鼻筋通って高さもあって、まるでモデルさんかのような鼻。

普通の距離と至近距離とで顔のイメージが全然違うの。

他の二人は全然そんなことないのよ。

遠くにいようが近くにいようが、よしのちゃんはよしのちゃん。
内藤くんは内藤くんにしか見えないから…

(う~ん、なんでだろ…?)
(あっ、ひょっとしてこういうこと⁉︎

ショートケーキの上にウニやいくら、サザエあたりをトッピングしてカニ味噌と焼肉のタレと三杯酢を混ぜたもの食ったってきっと美味くはないだろうし、そもそも見栄えだっていいとは思えないよね…
単体ならみんなVery Goodだけど。

至近距離だとそれぞれのパーツがクローズアップ、単体で目に入ってくるじゃん。

でも、離れると、それぞれがまとめていっぺんに入ってくるよね。

(なるほど、つまりはテルちゃんの顔ってそういうことか!)

いやあ~面白いもんだよね、見る条件のちょっとした違いだけでこんなにもイメージが変わる人がいるなんて…

けどさ、テルちゃん、やっぱり幸せもんだよ。

なんだかんだいっても素材の良し悪しってのはでかいじゃん。
どんなことでもさ。

似顔絵?描きながらこんな風にも思ったね…

(こんだけ各パーツの質が良いならメーク次第でいとも簡単に大化けしちゃうんだろうな…)

バケモノにって意味じゃないよ。

本物のかわい子ちゃんに!

自転車だってセッテイングちょっといじったら大化けって良くある話じゃん…

テルちゃんが西武園に出稼ぎに来るよ!

さて、そのテルちゃん!
10月9日~10月11日の西武園に斡旋。
こりゃも~本当楽しみ!

「おい田淵!もし前検日のインタビューなりレポートすんなら、ぜひテルちゃんのツラを超どアップで捉えたもんをお客様に提供してみてくれよ」

「本当に素晴らしい逸品だから!」

「50センチ以内の距離のならだけど…」

ウイルスの問題さえなきゃ、オレも速攻で駆けつけてもう一回テルちゃんの顔じっくり観察したいんだけどなあ…

ハイ!

ってなわけでそろそろ今回のお話はお開きに……

あっ、

でもやっぱ最後にもうちょい!

寄生虫?の内藤くん

今回の選手訪問、当初はよしのちゃんとテルちゃんの二人って連絡受けてたの。

でも、アッシーとはいえサプライズで内藤くんも。

実は、これもオレにとっては最高に嬉しかったこと。

西武園クラブのリーダー的存在として、そしてまた、コツコツ点数積み上げ現在S級まで上がってきた一選手として、結構気になってる一人だから。

そうでなくても東京登録の西武園選手ってだけで、もう愛さずにはいられないじゃん。

人の褌で相撲を取る、言ってみりゃあ寄生虫のような存在。
埼玉の施設で練習し、東京の選手として商売してるんだからさ。
しかも内藤くん、本業もちゃ~んと寄生虫職の代名詞であるマーク屋。

なもんで、内藤くんの元気な顔が直接見られるのは本当に何よりなんだ。

プロって存在は…

さて、本当に最後になるけど、今や年寄りの階段猛然と登り始めたオレにとって、現役選手と言葉を交わせるのは、それだけでもう最大級の差し入れ。

本人たちはまだそれほど気づいてないだろうけど現役のプロって、その場にいるだけでもう周囲に勇気や希望、元気を与えてんのよ。
だからこの日のオレにもちゃんと。

全然そんな風に思ってないでしょ?

でも、そうなの。
オレも最近気づいたから…
そういうことに…

だから、内藤くんもよしのちゃんもテルちゃんも来てくれて本当にありがとう。
いっぱい元気をもらえたよ。

改めてみなさんにお礼を言うね!

以上、終わり!

さあ、あたりちゃん、今度はどうでしよう?

う~ん…
「きせ~ちゅ~」って表現がイマイチきになるけど…
まっ、いっか!
とりあえずセーフ!

【裏ばなし】

へっヘッヘッ
実は、あたりちゃんに最初に送った今回の記事、全面ボツ食らってたの。
常識を逸した長さに加え、問題発言、異様に多い話の脱線…
も~、けちょんけちょん…

言われてみりゃたしかにね…
でも、良かった!
あんなもん更新してたら、きっと今頃みなさまに大変な迷惑かけてたもんハッハッハッ

だって、さいしょに送られてきたほう、三人をいじりまくり…

とくに、よしのちゃんのことなんて、あれこそまさにてんけいてきなヒボ~チュ~ショ~…
ナイト~せんしゅのことも、も~ボロクソ!
テルちゃんのことだって…

し•か•も•さ、
あとはカンケ~のない、じぶんのじまんばなしをえんえん…
それもうんとえらそうに…!

だってオレ、あいつのこと大嫌いなんだもん。
イ〜ダよしの…
最悪!
ナイト~だって、あんのヤロ~…

ピ~~~~!!!!!!
アカハタ!

みなさん、最初に書いた方、見たい?

ピピピのピ~~~~~!!!!!!!!!!!

【今回記事につきまして多分に虚偽内容が含まれておりますが、原稿がボツになった話は事実でございます】

番外編11『サクライせんせぇのオールスター物語(後編)』

みなさま、さくじつはサクライ大せんせぇが、ムダな話をながながと失礼しました(>人<;)
今日はなにがあっても、ちゃんと本題を話させますのでガマンして聞いてあげてくださいね(^∇^)
ではサクライ大せんせぇ!
本日もど~ぞ~!
♬パチパチパチ~♪♬

おい、あたり!
お前、オレをバカにしてんのか?
まあいい!
はい、それじゃ皆さん、続きといきますよ!
さて、まずはどんな感じの競走だったかをみてもらうかな。
そのほうが手っ取り早いだろ…

【※レース展開は、当時の新聞記事とラジオ中継録音の一部、桜井氏の回想から再現したものです。コース取りやタイミング等に実走と違いがある可能性もありますが、競走の流れはほぼ忠実に近いものとなっています】

序盤から動きはせわしなく

まっ、競走の流れ的にはこんな感じだったんだ。

トップを引くのは平林さん。

まずは、スタートで藤巻さんが前とって、加藤さんがこの段階ではマークの形。
そんで、大本命•福島さん、稲村さん、宮一さんの群馬勢。

で、このオレ桜井。
あとは先行の吉岡、様子見の塩沢。

この頃は、今みてえにラインで走るんじゃなく、強い先行の後ろをみんなで取り合うって形の競輪なんだ。
だから、別に同県もクソもねえし、序盤から中盤にかけても選手の出たり入ったりって動きはけっこうあったかな。
今はほとんどねえけど、序盤から並走って形もさ…
もちろん、選手には格ってもんがあるから、「1班の後ろは1班」みてえなもんはあったよ。

2班でも同県だから番手…、なんて甘えは許されない。

番手はあくまでも競りと脚で奪い取るもんだった…

それから昨日も話したけど、当時、1班120名ってのは本当に神様だったんだ。
そもそもお客が、そう呼んでくれてたよ。

「A1神様!」

今のS1は人数も多くてそういった威光も少し落ちちゃったけど、あの頃のA級1班ってのは文句なしに別格って存在だったな。

つまり、その頃はオレも神様の一人だったってことなんだけどよハッハッハッ

あたり!
少しはオレを尊敬しろよ!
お前は最近、オレをただのジイさんとしか見てねえだろ!

さあ、そんな訳で、このレースも初周から数周回、色々動きはあったんだ。

2周目の時、福島さんの前に宮一さんが一度入って、福島さんも使うそぶりを見せたけど、やっぱりもう一回入れ替わって、福島さんが前。

藤巻さんは、加藤さんが先行する気があれば乗る手もあったろうが、その選択はせず。
おそらく番手勝負か自力の捲りでも考えてんじゃねえかと思ったね。
脚はやっぱ藤巻さんが上だったし…
最終的には違ったけどさ…

で、3周目すぎて福島さん、稲村さん2車で上昇。
宮一さんはついて行かず。

藤巻さんが福島さんを迎え入れ、アウト稲村さんと競り。
藤巻さんは、福島さんを入れずに、後で上がってくるであろう吉岡のケツで番手勝負ってのもあったと思うけど、やっぱり前橋って事と福島さんと同期って事で入れちゃったのかな。
3番手なら勝負権あるし…
展開によっては福島さんがそのまま自力勝負に出るってパターンもあっからな…

さて、ここで競りが長引き前段もつれる展開になったら、オレはオレで捲り勝負の選択肢も出てくるが、結局、藤巻さんその後下げて稲村さんまで入れちゃうんだ。

前橋だから、これも仕方なかったのかな…
ちょっと、(ふ~ん…)とは思ったけどな…

まっ、とにかくこれで良くも悪くもひとまず隊列は落ち着いた。
青板(残り3周)すぎて、間もなく赤板(残り2周)ってとこで先行•吉岡が上昇。

さあ、いよいよ勝負所に突入だ。

若さゆえに勝手にカラダが動いて…

福島さんが吉岡を迎え入れて絶好の態勢。

さあ、藤巻さんがどう出るか。

4番手じゃ勝負にならんし、追い上げて、今度は福島さんと番手競りに出るか、それとも加藤さんが先に何かするか…

…と思ったらよ…

(は~ん⁉︎      動く気配がまったくねえ)

(おいおい、一番強い自在選手の前に先行が入って、このまま一本棒じゃもう勝負は決まっちまうじゃねえか…)

(冗談じゃねえぞオイ…!雁首並べてみんなでお見合いか⁉︎

でな、そしたらその瞬間、なぜかもう身体が勝手に動いて出てったような感じで、オレは福島さんのアウトに追い上げていたんだ。

同じA1、神様同士とはいえ、向こうは横綱、オレは前頭。

けど、土俵に上がったら遠慮もクソもねえ。
ただ力一杯立ち向かうだけだ。

ドッカ~ン!!!

いや~死力を尽くして闘ったよ!
24歳になりたてホヤホヤ、若武者•桜井青年は!

福島さんも意地になってぶち当たってきたけど、オレも引かずに攻めつづけがっぷり四つ!

再度、ドッカ~ン!ドッカ~ン!

押し込んでも押し込んでも、その都度跳ね返してくるんだ。

やっぱり横綱ってのは本当に強ええと改めて思ったな。

打鐘前あたりから追い上げて、そういった感じの激しい競りが最終2センターから4角くらいまで続いたのかな…

でもよ、そうなると後方の人間にとっちゃ、もう絶好の捲り頃だろ。

「ごちそ~さ~ん」とばかり、加藤さんが最終2角からズッド~ン…

人様が前で必死に仕事しているすきに、美味しいとこだけスコーンと持ってっちゃった…

で、もはや脚がいっぱいの福島さんとオレは共倒れ7着8着…
(※普通競走なので末着はほぼトップ引き)

それでもみんな大喜び!

それでもさ、競走後、金網の外はそりゃ~凄まじい反響だったよ。

そりゃそうだよな。
大本命、大横綱に、それもその地元で、初優出の若造が競りかけて大競り演じたんだから!

「福島と競るとはいい根性してる!」

「藤巻みてえな実力者や他の連中が脚使うのを怖れて何もしねえ中、あいつ一人が攻めてった!」

「あのままじゃすんなりで終っちまうレースを見事に動かした!」

「東京の桜井!ありゃ大物になる!」

「ガキみてえなツラしてて大したもんだ!」

「オレの車券パアにしやがった…」

てな風に、記者や評論家、お客さん……そして当時想いを寄せていた松戸のソノちゃんも、おそらくきっとどこかで悶え狂ってたはずだ…

オレだって、そりゃも~興奮の極致さ。
精一杯戦った後の爽快感とか…

も~何とも言えんわ!

あの時の気持ち…

一人だけ他と違ったヒトとそのワケは…

けどよ…
けどな…

そこで、ただ一人だけ違う反応を見せた人がいたんだ。

このレースでトップを引いた、同じ東京の大先輩、故•平林巳佐男さん!

競走終了後に最初に言い放った言葉がなんと

「お~い!桜井は何着だった?」

だぜ!

しかも、凄まじい形相で…

実はこの人、このレースで、オレの後ろを回って稼げる可能性のある金と、トップ引いて稼ぐ金と、どっちの方が高くなりそうか天秤かけてトップの方を選択してたの。
(トップ引き選手の賞金の取得方法は機会があればいつかお伝えします)

だから、オレが8着ってこと知って

「オッシャ~!大成功!やっぱオレの判断は間違ってなかった!」

「良かった~!今日も儲かって!グヘヘへへ~!」

 今度は、も~とびっきりの笑顔でさ…
ったく、カネのことしか考えてねえんだからな…

まっ、こういう判断や決断、勇気も競輪の世界にゃあるってこった、うん………………………………

(※当時の競輪は、6番の選手が誘導役を務める普通競走が一般的スタイル。別途、誘導員を用意する現在の先頭固定形式もあるにはあったが、勝ち上がりの競走、決勝戦等の場合でも誘導賞金を目当てに誘導役を申し出る選手が多かったので需要は少なかった。名誉より、いかに稼ぐかが重要な時代でもあったのである)

セ、センセエ!せんせぇ!センセェ!
ひょ、ひょっとして、おはなしぜんぶ終了しました?
やった~。・°°・(>_<)・°°・。
ばんざ~い(大泣大泣大泣号泣~)

 

あたりのざれごと

みなさま~、ホンット~におつかれさまでした~!!!

も~あたし、いっきに100歳くらい歳をとった気分。
今回の記事作りって、ホントに大変だったの(>人<;)

まず、桜井センセェのとこに電話して、録音とメモ取りながら数千時間話を聞かされたのよ。

それから当時の新聞記事とかをお借りしにセンセェ宅の玄関先までうかがって(緊急事態宣言中だったから)、そんでもってハゲのタナカに連絡して原稿かかせ、最後にまた、いつも同様まとめの作業…

桜井センセェって、ど~してあんなにしゃべるの⁉︎   しゃべれるの⁉︎
あたし、桜井センセェの奥さま尊敬しちゃう!

家の中でなんにもしゃべらないお父さんにもこまっちゃうけど、あれだけしゃべられちゃ女の出るまくなくなっちゃうじゃん…

でもさ、すっごく明るい家庭みたいでとっても楽しそうなの。

電話口でそれがすごく伝わってきて、ちょっぴりうらやましくなっちゃった╰(*´︶`*)╯♡

ハゲのタナカのあいかわらずつまらないざれごと

桜井さんのせいで、あいかわらず長いブログになっちゃって申し訳ないんだけど、オレにもちょっとしゃべらせて。

今回の話に登場した、当時のスーパースター福島正幸さん。

思い出ってわけでもないんだけど一つ強く印象に残ってることがあるんだ。

オレにとっての福島さんは…

福島さんの師匠で競輪評論家をなさってた故•鈴木保巳(1期)さんて方がいらっしゃったの。
もうかなり前に亡くなられてしまったんだけど、オレ、この方の競輪中継の時のお話や評論記事が大好きで、一度お会いさせてもらったことがあったの。

で、その時話された、福島さんのエピソードにすごく感銘を受けてさ…

鈴木さん、こうおっしゃってたの…

「福島…
あいつは本当に大した男だった。
師匠のオレでも、こいつにはかなわんと思ったよ。
こうと決めたことは、何があってもやり抜いた。
変な話になるが、この時間にトイレに行って出すと決めたら、例え下剤を飲んででも出す!
そんな男だったよ…」

オレの頭の中には、現役時代の福島さんが確か「精密機械」なんて感じに称されていたような記憶もあったから、なおのこと感動しちゃってさ…

(少しでもこんな人間に近づきたい…)

本当にそう思ったね。

なれなかったけどさ…

福島さんのお名前を見つけると、今でもその時の話を思い出しちゃうんだ…
桜井さんのエピソードにも似たような部分があるけど、一流になる人って皆さんやっぱりそういったモノを持たれてるんだろうね…

ちなみに、オールスター決勝の記事の中にこんな一文があったの。

「福島は、あそこで桜井と無理に競らず一車下げて捲り勝負に出れば勝てていたのではないか…」

横綱、挑戦者双方がプライド、信念もぶつけて戦っていたって事なのでしょう。

素晴らしいです。

 

ゴメン!
それから最後にもうひと方。

故•平林巳佐男さん。

オレにとっての平林さん

オレが競輪場に通い始めた昭和60年頃…この頃はS•A•Bの三層制になってたんだけど、たしか選手数も四千人くらいって時だったのかな?

でさ、平林さん、地元のレースに斡旋されるのが多かった?のか、オレが行くときゃよく出走表に名前が出てたんだ。
たしかA1くらいをキープしてて、しかもそこそこの順位だったような記憶があんのよ。(記憶違いかもしんないけど)

三層制になったとはいえ、当時S級は4千名の中で430名。
だから仮にA1といっても、現制度のS2くらいのレベルはあったかも。
昭和50年のオールスターで42歳だったってことは52歳でしょ。
当時24のオレにとっちゃ凄まじいジイさんに感じてさ。

こう言っちゃなんだけど、本当にジイさんみてえな顔してたし…

しかも、そのジイさんが下手すりゃ最終日、決勝(あったかも?)とか特選、選抜走ってたりすんだから。(その時もトップ引くことがあったかどうかは忘れた)
も~なんちゅう世界だと思ったね。

良くも悪くも…

なんで、スポーツの世界であんなジジイが若者と普通にやりあえるんだ?
って風にさ…

もちろん、同時に尊敬の念も生まれてたけどね。
とにかく印象に残るジイさん選手でした…

そうそう!

あとさ、あの時代の方でしょ。
旧A1、タイトル戦を何度も走った大選手なのに身なりといえば…
良い言い方をすれば質素。

ごく普通の感覚で言うと

「ど~して、そんなにケチなの!」

もちろんオレも人のことは言えない格好してたけどさ…
今だって、30年くらい前のジーパンとか平気ではいてるしハッハッハッ!

でもさ、今は選手の皆さんも本当にオシャレになったよね。

モモヒキや軍手でレーサー乗るなんてありえないでしょ?(これ、平林さんのことじゃないよ。むかし選手の方に聞いた話…)

今回の原稿を作ってて、そんなことを思い出しちゃった。
ってなわけで、ハイおしまい!

あたりちゃん、これくらいの長さなら許してくれる?

ながい!

【※番外編10、11の記事内容につきましては、ともに、それなりのウソ•でっち上げを加え構成しております】

番外編10『サクライせんせぇのオールスター物語(前編)』

みなさま、こんにちは
あたりです♡♥♡♥

 

緊急事態宣言もついに解除されたりと、ウイルスの方も少しずつ収束の方向には向かっているみたいですね( ^∀^)
でも、まだまだ油断は禁物Σ(-_-)

第二波とかきたらホントいやだし…

念のためブログ制作のときは、まだ在宅ワーク実行中。

お化粧の必要もないし、部屋着のままで過ごせるし、なにより通勤しなくていいでしょ。
ちょっと、しあわせ( ^ω^ )

ってなわけで、ハイ!
きょうもお仕事、お仕事…!

ハイ!
っというわけで、今回は「まだ生きてる化石!」桜井久昭(28期•OB)大センセェにご協力いただいて、むかし話をおとどけします♪()♪

 

お年寄の話って若い人はみんなきらうけど、どんなときも辛抱って必要だと思うの!(◎_◎;)

先のことを考えると、ウイルス関係での辛抱もまだ必要だと思うし、もうしばらくはがんばって辛抱しましょう╰(*´︶`*)╯♡

それでは桜井センセェ!
辛抱疲れのみなさまに向けて、
ハイ、ど~ぞ!

♪パチパチパチ~♬♪♬

ハイ!
ただいまご紹介に預かりました第17代競輪王!28期•西武園クラブOB!桜井園子さんの夫!桜井久昭でございます!

先日、け~りんふきょ~会のあたりから電話が入って、オレの昔話をぜひにって頼まれたもんで出てきました。

まあ、かなり光が見えてきたとはいえ、確かに第二波が怖いからまだ警戒は緩められんとオレも思うんだ。
ゆえに、ちょっとした気分転換にでもなればいいかなと思ってよ…

むかしむかしの自慢話の始まりは…

さて、オレが話すのは、若かりし頃、特別競輪初優出を決めた、昭和50年(1975年)9月、前橋の第18回オールスター競輪!

当時、オレは24歳。
9月2日が誕生日のオレはなりたてホヤホヤだ。

戦法は追い込み主体に展開次第で捲り。
Aの2班までは先行、捲りで戦ってたが、1班では厳しいと考え戦法チェンジ。

その後、先行に関しては年寄りに懇願されたらって感じだったかな。

選手登録は昭和46年1月、デビューは2月。

んで、B級2班のデビュー戦から8連勝。

9戦目2着で、その後10連勝(当時の特進条件は10連勝)プラスおまけ1勝の都合11連勝でA級特進だ。(当時、A級は5班制だったが、特進だと4班に格付けしてくれていたような気がする。昔すぎて忘れた)

「オシ行ける!」

と思ったのも束の間。

A級昇格後、一年間は優出すら出来ずでプロの厳しさも早々に味わったよ。
お客からも厳しい声が飛んだもんさ。

「特進選手のくせに!」
「てめえみてえな奴は、永久にに準優突破なんかできねえ!」
「バカ!クズ!南京虫!」

一年間本当にその通りになっちまって…
南京虫には、さすがにならなかったけどよ…

昔も今もそうだけど、すんなり特進決めて、しかものちにタイトル獲得まで行くような選手が特進後にほとんど勝てなくなるケースってのは、そうはねえと思うんだ。
だから、精神的にもかなりきつかったよ…

けど、日々やるべき事をそれ以上に、かつガムシャラにやって挑戦し続けるしかねえもんな。

辛抱しながらの戦いを続け、ようやく勝ち星も増やせるようになっていったんだ。

辛抱と練習!
ただただ、この毎日…

だから今、デビューしたばかりの連中にはこんな風にも言いてえな…

「決して焦るな!」

「慌てるな!」

「黙々と、すべき事をし続けろ…!」

現役の若い衆たち、がんばれよ!

さあ、そんなこんなで4年近くの月日が流れ、オレが当時の最高位A1になったのは前橋オールスターの前年、昭和49年の9月。

結局スピード出世とはいかなかったものの、とにもかくにも俗に言う神の領域ってとこに到達して、いよいよ将軍、横綱、王様って人たちに立ち向かえる日々がやってきたんだ。
もちろん、その頃にはそういう人たちにハナからかなわんとは思わなくなったし、いつか必ず頂点にって思いで先輩たちに立ち向かってってたな。

練習だって、そりゃあ~も~それまで以上さ…!

そもそも知りもしない競輪の世界

話は、ちょっとそれるけど、オレん家は実家が会社経営してて、学校も中学から私学っつう比較的恵まれた環境で育ったんだ。だから、お坊ちゃん呼ばわりされるようなことも多々あって、より何クソって感じで闘志も燃やせたのかもしれん。
ちなみに、小学校までは勉強だってトップだったんだぜグッヘッヘッ!

おい、スガモのコイケ!(競輪選手関係じゃなく、競輪場のただの浅ましく、賤しく、ひもじい客)
ちゃんと聞いてっか?

お前は巣鴨高校•柔道部だけど、オレは明治高校•生物部だかんな!
運動部なんて野蛮なとこには入らず、ボウフラやイトミミズの研究に日々没頭だ…

けどな、自転車も大好きで、日本のあちこちに輪行で旅行なんてこともしてたよ。

高校生当時、競輪なんて世界があるってことは全く知らなかったけど、たまたま同級生の友達に、従兄弟に競輪選手がいるってヤツがいたんだ。
で、3年生になったある日、そいつに誘われて、その従兄弟の家に遊びに行ったことがあったんだ。

選手の従兄弟さん本人は忙しくて話はできなかったんだけど、親父さんが相手してくれて自転車や競輪の話を色々聞かせてくれたんだ。

もちろんその時のオレは選手になりたかったわけでも興味を持ってたわけでもないぜ。

ただ、オレが輪行少年だったってことで興味を持ってくれたのか、のちのオレの師匠となる、倉地治信(6期•OB)さんという方にひき合わせてくれ、練習に誘われたりしているうちになぜか競輪選手の道に進む流れになっていっちまうんだ。

元々は学問系の人間だったから晴天の霹靂だよな。

でも当時、倉地さんに言われた一言

「お前は根性がある!」

この一言で俄然燃えたんだ。

男、桜井!
こうと決めたら、もう一直線!

「オレの道は競輪選手!」

ってなわけで、ひょんなことから明治高校史上初の競輪選手が誕生することになるんだ!

巣鴨と違ってほぼ100パーが東大に進学(ウソ。ほとんどが明大)する学校から!

周囲は猛反対だったよ…

「お前は将来、学者か大臣にでもなる器だろうに、なんで競輪なんて…」

って具合に校長以下、全教師、全校生徒たちからも泣かれてな…

ど~だ、たまげたかハッハッハッ!

オールスターでついにサクライは覚醒する…

…ハイ、ほんで話は戻るけど、特別競輪初出場は、そのA1になった49年の静岡オールスター(優勝•阿部道/23期•OB)。

でもって、年明けて、50年千葉ダービー(優勝•高橋健二/30期•OB)、宮杯(優勝•藤巻清志/27期•OB)、そしてこれから話す前橋オールスターへと続くんだ。

どうだい、皆さん。
ここまでの前振りだけでもワクワクしてくるだろう?

いかにもオレが、少年マンガに出てくるようなすごい男のように感じてきたんじゃねえのか?ドへへへへ

おい浅見(隼/115期・東京)!
お前も、ちゃんと聞いてっか?
ささ身ばっか食ってねえで、ここからの話よく聞いとけよ!

なぜこのオールスターの話をしたいのかっちゅ~と、今、競輪人生を振り返ってみた時、こんなようにも思えたからなんだ。

あの決勝レースを走ってから、本当の意味で「競輪選手、桜井久昭」がスタートした!
ってな…

何があったのかっていうと、特別競輪初めての決勝でオレは、当時の大スター、そしてこのレースでも大本命だった福島正幸(22期•OB)さんに勝負所で追い上げて大競りを演じたんだ。

もちろんあの時、いろいろな計算があった訳でも、した訳でもなく、瞬間的な判断と身体の方が勝手に動いてったってことなんだけど、でもあの一戦でオレなりの選手としての信念みたいなもんが確立し、周囲のオレに対するイメージもあれで固まったような気がするんだ。

前年、A1になったもののスピード出世とはいかなかったオレの評価は、

「そこそこの若手のうちの一人…」
「A1までは来たけど、どれほどのモンかはまだわからん…」
「所詮、特進後にもたついたヤツ…」
「ホラ吹き…」

当時、密かに想いを寄せていた松戸のソノちゃんの評価もおそらく

「大ホラ吹き!」

実はこのオールスターを迎える前、そんなオレでもなぜか好調は好調で、宮杯を終えてからの4ヶ月間は記念競輪を4回走って3V。
普通A1戦を一つ走って完全V。
5場所走っての4Vっつう見事な成績を収めていたんだが、それでもまだ間違いなく本物とまでは見てもらえてなかったんだ。

オレ自身、(たまたま流れにうまく乗っかれた…)みてえな感覚で、絶対的な自信はまだ生まれてなかった気もするしな…

だけど、あの一戦の後は、

「とことん行く男!」
「どんな相手にでも真っ向勝負に出る追い込み屋!」
「根性は一級!」

このオレ自身も、

「オレはやれる!」

そう思った…

で、今改めて思うんだ。

なぜあの時、あの福島さんに、しかも福島さんの地元前橋で競りかけることができたのか…
さらには初優出の身の上で…

それはきっと

「ここぞという時、強気で攻める!」
「物事に直面した時、損得抜きで真正面から立ち向かう!」

そんな勇気を持つことを普段から自身に言い聞かせていたからだと…

そしてそれがあの日、自分の中での信念として絶対的なものになった。

で、その勇気を持つ心ってのは、特進後の一年間、あの全く勝てなかった日々にそれでも腐らず、ただただ練習し続けたことと、ソノちゃんへの熱いハートから生み出されたものだったって気がするな…

そして偉大な選手として栄光の人生が…

さて、ついでにオールスター後の話も少し。

しかし、人生ってのは面白いよな。
自信をつけた、そのオールスターの直後はまた勝てなくなっちゃうんだもん。
物事ってのは本当都合よく動かねえ。

けど、このオレにはもう怖いもんなんぞありゃしねえからな。

その次のタイトル戦となる5度目の特別競輪、11月の競輪祭!

特別競輪2度目の優出を果たすとともに見事初V!

このオレが、なんとタイトルだ!!

第17代競輪王!

男、桜井!
勇気がついに花開いた瞬間だドハハハハ~~~~!!!!

弱冠24歳と2ヶ月チョイ!

税務署からも祝電がわんさか!
さすがのオレもこの時ばかりは、もう一つの覚悟を決めざるを得んかった…

(こいつらともオレはとことん戦う!)

番手競り同様、数学も大好物だったこのオレだからな…

さあそして、絶対的な勇気を持って松戸のソノちゃんに愛の告白!

そしたらソノちゃん…
うっひっひっ…

「ヒサテルさん、も~どうにでもして♥♡♥…」

だとさ!
グハハハハ~~~~♥♡♥♡♥♡♥

も~、男冥利に尽きるってもんよ!

なっ浅見!
そうやってオレは、名実ともに「東京の桜井久昭」になっていったんだ…

(もちろん、その後は、前回このブログに登場した94期の岡(光良・埼玉)同様、信念持って特別競輪の優勝だけは拒否し続けたけどよ…)

オレの現役生活は38年!

晩年、脚はどんどん落ちても、選手として持つべきと決めたあの勇気だけは常に持って走り続けたと思う。
ソノちゃんへの愛情だってもちろんだ…

ど~だ樋口の次男(瑛土/109期・東京)と三男(開土/113期•東京)!
大矢(崇弘/107期•東京)!
内藤(高裕/96期•東京)!

それからハゲのタナカ!

い~話だろう!

ちゃんと聞いてっか?

競輪も、女の子口説くのも同じなんだぞ!

強気と損得抜きで真正面から立ち向かう!

ソノちゃん口説いたのはオレの方からだったが、そのあとは、も~…
惚れまくられちゃったかんな~グヘヘへ…

そうそう、野村(昌弘/84期•埼玉/西武園クラブ会長)やその他はもう聞かなくてもいいからな。
お前らは嫁さんいるんだし…

さて、話がちょっと長くなっちゃったから、ここらでひとまず休憩といくか…

「うお~い!
40年以上も愛するソノちゃ~ん!
いつも同様、オレがお茶入れるから一緒に飲も~!
そんなそっけない態度取らなくてもいいじゃんよー(汗汗汗)」

あのさ~大センセェ…
オールスターの話って、ただスターの人に競りかけましたってぐらいで、レース内容の具体的な話がほとんどないじゃん。

もっと、ちゃんとくわしく話してよ!

むだ話ばっかりつけくわえて、も~じれったいたらありゃしない!

こういう男の人って、女からはだいたいきらわれるんだよね…

モテない男のテンケ~。・°°・(>_<)・°°・。

しょうがないから続きはも~、次回。

次はちゃんとやってよ!

ったくも~…

【というわけで後編は明日6月2日に更新予定でございます…】